広島地方気象台長からのメッセージ

気象台長の写真

皆様、こんにちは。

広島地方気象台長の中村です。


令和6年も早いもので、もう3月です。民間気象会社からは3月下旬頃の桜の開花予想がすでに発表されています。暖冬傾向が続いたこの冬ですが、桜の開花はいつ頃になるでしょうか。


さて、皆様は、作家の柳田邦男さんが書かれた「空白の天気図」という作品をご存じでしょうか。この作品は、昭和20年8月6日の広島への原爆投下と、その約一か月後の枕崎台風の直撃という二つの大きな惨事を、当時の広島地方気象台の職員の苦闘を通して描いたノンフィクションです。先月29日まで、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で、この作品を題材とした「空白の天気図 -気象台員たちのヒロシマ-」という企画展が開催されていたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。


昭和20年当時の広島地方気象台は、現在の所在地よりも南西方向約4kmの江波山にありました。江波山は、爆心地からは少し離れていましたが、原爆の爆風や高熱で、気象台の建物や観測機器が大きな被害を受け、気象台職員にも多くの負傷者が出ました。「空白の天気図」では、この原爆投下直後の状況下でも、当時の気象台で、残された観測機器で職員が休むことなく気象観測を継続した様子が描かれています。当時は、気温・気圧の測定や雲の観測などのすべての気象観測は、人間が測定値を読み取ったり、目視で現象を捉えて記録したりする作業が必要でしたので、観測の継続に大変な苦労があったことは想像に難くありません。


そして、それから約78年の年月が経過した今年の2月9日に、当台から「広島地方気象台における目視観測通報を自動化します」という報道発表を行いました。これは、従来行ってきた目視観測通報を、3月26日に自動観測結果にもとづく通報へ切り替えることをお知らせするものです。

これまでも、気温、風、降水量、日照などは観測機器による自動観測を行ってきましたが、晴や曇りなどの天気や視程(見通しのきく距離)などは、定められた時刻に気象台の職員が目視で観測し、気象観測通報として発信することを継続してきました。

しかし、近年の気象衛星や気象レーダー等を利用した観測技術の進歩、視程計などの測器の開発などによって、従来は観測者の目視によって行っていた観測も、自動観測で代替できるようになりました。中国地方の松江地方気象台、鳥取地方気象台、岡山地方気象台では、すでに令和3年3月から目視観測通報の自動化を行っています。


このように、昭和20年の当時から比べて、科学技術の進歩に伴い、観測する手法や観測対象などは変わってきました。また、今後も変わっていくでしょう。しかし、気象現象を観測し、その観測結果にもとづき将来の気象状況を予測して災害を防ぐという気象台の責務は、昔も今も、そして将来も変わりません。「二度と繰り返されない自然現象を正確に記録していく」という観測者としての矜持も昭和20年当時と変わらず持ち続けていきたいと考えています。



令和6年3月1日     

広島地方気象台長 中村浩二