岩崎卓爾いわさきたくじについて~石垣島に生涯をささげた人~

  岩崎卓爾は、1869(明治2)年に宮城県仙台市で仙台藩士の家に生まれ、1891(明治24)年、北海道庁札幌一等測候所に入所し、札幌や根室測候所で勤務しました。1896(明治29)年10月6日付で北海道庁測候所を依願退職し、翌年2月に中央気象台(現:気象庁)の職員となりました。1898(明治31)年10月16日付で中央気象台付属石垣島測候所(現石垣島地方気象台)勤務を拝命され、10月8日に石垣島へ渡りました。着任後間もなく、初代所長の石田三之氏が依願退職したため、着任3か月後の12月5日に29歳の若さで第2代所長心得を拝命されました。以後、68歳で没するまでの40年間石垣島に住み続けました。

  卓爾は、台風の最前線で気象業務に従事するかたわら八重山研究に次第に没頭し、「ひるぎの一葉」、「八重山研究」、「やえまカブヤー」、「石垣島気候篇」など多数の著書を残しており、八重山研究の基礎を築きました。特に生物研究においては積極的に採集を行い、イワサキという名を冠した昆虫や爬虫類を多く発見しました。その代表的なものがセミ科のイワサキクサゼミで、日本に分布する蝉の中では最小の種となっています。そのほかに、イワサキコノハチョウ、イワサキゼミ、イワサキヒメハルゼミ、イワサキタテハモドキなどの蝶類やイワサキワモンベニヘビ、イワサキセダカヘビなどの爬虫類なども含めて、卓爾が発見した新種は、全部で23種類にも及びます。これらの成果は、迷信にたよっていた住民に、気象現象の科学的とらえ方の啓蒙に役立ち、彼の冷静で、科学的で、文学的な気質は気象にとどまらず自然、文化、民俗、教育、芸能など多岐にわたる報告や研究論文は学者・研究者から高く評価され、交流も深まり石垣島に多くの学者・研究者を招くきっかけとなりました。

  八重山の自然や人情を愛し、八重山の多岐にわたる分野に貢献した卓爾は、地元住民からは「天文屋の御主前(テンブンヤーのウシュマイ)」(測候所のおじいさん)」と慕われていました。写真は岩崎卓爾の胸像で、昭和7年の退官直後に、その功績を称えるために島の人たちや全国の気象台及び卓爾と親しい学者からの寄付金により制作されました。設置当初は旧正門(敷地西側)付近に設置されていましたが、庁舎建て替えにより、現在の観測露場南側付近に移設されました。岩崎卓爾を称えるため、「岩崎節」という民謡も作られました。

【訳】:岩崎様は、八重山に転勤されて、風雨の気象を毎日報せて下さって、八重山のため国のため御尽くしになられました。御蔭様で八重山の島は豊な島になりました。
黄銀の家(コンクリートの庁舎)で岩崎様よ、お願い致しますから百歳までも御長命なさってお勤めください。


岩崎卓爾像と石垣島地方気象台

岩崎卓爾像と石垣島地方気象台


岩崎節の動画はこちら


<参考文献等>
・きしょう春秋No.404(2014(平成26)年11月10日)
・岩崎卓爾一巻全集(伝統と現代社)
・台風の島に生きる(偕成社文庫)
・八重山民謡と楽譜(工工四) 喜舎場孫扶 編纂