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明和の大津波 ∼巨大な岩を動かす津波の力!∼

1.概要

図1 明和の大津波の震央 図1 明和の大津波の震央
  1771年4月24日午前8時ごろ、北緯24.0、東経124.3度(石垣島の南南東35km付近)でマグニチュード(M)7.4の地震が起きました(震源は理科年表、図1参照)。 地震の揺れによる被害はほとんどありませんでした。しかし、この地震により津波が発生し、石垣島や宮古島でたくさんの溺死者が出ました。ここでは、明和の大津波について説明します。津波による被害は、表1のとおりです(日本被害津波総覧より抜粋)。 この地震の特徴は、地震の規模(マグニチュード)に比べて、津波が大きかったことです。
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2.明和の大津波の特徴

図2 海底地滑りの概念図 図2 海底地滑りの概念図
  明和の大津波の特徴は、地震の規模に比して、津波が大きかったことです。記録によると、震度は4程度と記録されています。この震度の記録から、地震の規模はマグニチュード7.4程度であったであろうといわれています。 この規模の地震で想定される津波(の高さ)は、石垣島で2m~3mです。このことから明和の大津波は、「津波地震」か「海底地滑りによる津波」ではないかといわれています。  「海底地滑りによる津波」とは、河川や海流により、長い間に堆積した堆積物が、地震の振動をきっかけにして、海溝などの更に深い海に落ちることによりおこる現象をいいます(図2)。   八重山・宮古諸島を襲った津波のエネルギーは、巨大な岩を動かすほどで、石垣島・宮古島には、今でも当時海から運ばれてきたといわれている津波石があります(図3)。 1998年に発生したパプアニューギニアの津波の例もこれに該当します。
図3 石垣市大浜先原公園にある津波石 図3 石垣市大浜先原公園にある津波石
(重さは500∼600t近くあります。)
  表1に当時八重山諸島で死亡した人の数を示します。この表をみると、かなり詳しく津波の被害者が出ています。これは、当時、琉球では、納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課す税金、人頭税というものがあり、住民の数をかなり正確に記録していたためのようです。
  明和の大津波に襲われる前の八重山地方の人口は3万人弱。これが、津波の後には、2万人ほどに減り、それから明治に至るまで人口は減少し続けます。明治時代の初期には、1万人程度まで人口が減ってしまいます。 これは、津波によって八重山の田畑が冠水し、土地が疲弊したため、飢饉や疫病等により多くの人が死んだためではないかといわれています。
表1 明和の大津波による八重山地方の被害者数) 表1 明和の大津波による八重山地方の被害者数
    参考資料
  • 「日本被害津波総覧」渡辺偉夫/東京大学出版会
  • 「地震の事典(第2版)」宇津徳治etc.編集/朝倉書店
  • 「八重山の明和大津波」牧野清
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