京都府の気象特性

京都府の地形は、琵琶湖西岸から大阪府北部にかけて丹波高地が広がり、 そのほぼ中央に位置する丹波山地を境にして気候が北部と南部に大別され、 南部は太平洋 (瀬戸内)気候、北部は日本海気候の特性を示します。

北部でも丹後半島地域は日本海側の特性が顕著で、福知山盆地から丹後山地一帯は内陸性、 舞鶴湾・宮津湾付近一帯は両者の中間の気候です。 南部では、亀岡盆地から南山城山間部にかけては内陸性の気候です。 また、京都市の市街地では、近年平均気温の上昇など、都市気候化の傾向が認められます。

  • 瀬戸内気候
    瀬戸内海沿岸部にみられる気候で、降雨が少なくて乾燥しやすく、夏と冬の気温差が大きいのが特徴です。 日照時間も多く、この地域でかつて塩田が多くみられたのは、この特徴をいかしたものです。 瀬戸内は北は中国山地、南は四国山地に囲まれて一種の盆地気候に類似しているといわれており、そのために京都と気候が似ているのでしょう。
  • 日本海気候
    日本海側全般に見られる気候で、特徴は冬季の大雪です。 また、春から夏にかけて、日本海に低気圧が発達して入ると南よりの暖かく湿った空気が山脈越えし、 フェーン現象で高温となることがあります。 えてして最高気温の極値を調べてみると日本海側の方が太平洋側の地域より高かったりします。
  • 内陸性気候
    海岸部に比べて気温の変動幅(1日の最高・最低気温の差や夏・冬の気温差)が大きく、 湿度が一般に低いですが、山間部では降水量が多くなるのが特徴です。
  • 都市気候
    都市部に人口が集中することや、建造物が増加し緑地が減少することなどによって、気候に局所的な変化が生じると、都市部の気候が周辺の地域のものと異なってきます。 このような都市部で独特な気候を都市気候といいます。 その主な特徴として、大気汚染、都市域の高温、日射量の減少、風速の減少など都市固有な風系の発生、湿度の減少(都市の空気乾燥)などがあります。 この中でも最も顕著な現象である都市部の高温は、都市とその郊外を含めた地域について気温の等値線を描くと、 洋上に浮かぶ島の形のような高温部が都市部に現れることから、ヒートアイランド現象とも呼ばれます。このヒートアイランド現象は、特に風の弱い冬の夜に顕著となることが知られています。

「平年値」および「観測史上1~10位の値」の紹介

災害をもたらした気象事例

気象災害に対する理解を深めて頂くことを目的として、過去に発生した主な気象災害事例の詳細を掲載しています。

台風災害

台風が京都府の西側を北上するときはいわゆる風台風となり、 東側を通過するときはいわゆる雨台風となる場合が多くみられます。

風害は京都市内から南山城にかけての地域、水害は由良川、桂川流域に多く発生しています。 潮岬をかすめて東海地方に進むコースをとる大型台風は、 暴風、大雨をもたらし重大な災害が発生します。

府下に最も大雨を降らせる台風のコースは、紀伊半島から東海地方へ北東進するもので、 府下全域が大雨となりますが特に丹波山地がその中心となります。

1953(昭和28)年の台風第13号、1959(昭和34)年の伊勢湾台風はいずれもこのコースをたどり、 由良川、桂川上流域に300~500mmの豪雨を降らせました。 特に1953年の第13号台風は、府下の中小河川はもちろんのこと、 大河川がいずれも各所で決壊または大氾濫して大洪水となりました。

大雨災害

京都府における大雨災害は、台風より梅雨末期の集中豪雨によるものの方が多いようです。

1951(昭和26)年7月11日、山城及び口丹波地方を中心に雷を伴った局地的な豪雨となったため、 南桑田郡篠村字柏原部落(現亀岡市柏原)の西端を流れる年谷川上流の平和池が決壊し、 下流の集落が濁流に呑み込まれ、死者・行方不明者114名の犠牲者を出しました。

また、1953(昭和28)年8月14日~15日にかけて、木津川上流域を中心に大雷雨が発生し、 和束町で428mmという集中豪雨が降り、ため池の決壊や小河川の氾濫により、 死者・行方不明者336名の犠牲者を出す大惨事となりました。 この大雨は非常に狭い範囲で降ったことから、報道機関によって「集中豪雨」という言葉が 使われた最初の事例となりました。

(注)集中豪雨という言葉が初めて使われたのは、1953年8月15日の朝日新聞の夕刊(大阪本社版)とされている。 「集中豪雨木津川上流に」という見出しで、本文にも「激しい雷と豪雨を伴って木津川上流に」とある。 集中豪雨という表現が現象を的確に表していたため、次第に気象用語として定着するようになった。