~ 松山地方気象台の歩み ~

 松山地方気象台は、1890年(明治23年)に愛媛県によって「愛媛県立松山一等測候所」として設置され気象業務を開始しました。以来、国への移管や名称変更などを経て現在の「松山地方気象台」となり、全国でも稀な100年以上にわたる気象観測を行なっています。
 これにより、地球温暖化など長年の気候変化を探ることができる貴重な気象観測データが残されています。

 この歴史の中で、戦時中の気象情報は戦略上極めて重要であったため管制され、一般への発表が制限された時代もありました。 (1941年(昭和16年)12月8日、気象報道管制要領が制定され、観測情報や天気予報などの気象情報の発表や報道は禁止されました)
 愛媛県及び周辺地域の気象観測に重要な役割を果たしていた当時の松山測候所も例外ではなく、空襲を回避するため庁舎は黒く塗られ、天気予報が発表できない時代もありましたが、1945年(昭和20年)の終戦とともに気象報道管制は解除され、気象情報は再び国民のものとなりました。

松山一等測候所
松山地方気象台(昭和初期)  以前の松山城の麓から東側一帯は高い建物がなかったため、気象台から松山城全体が見渡せ、逆に松山城からも気象台の時計台や付近の学校などがよく見渡せる状態でした。
 しかし、近年の都市化による高層ビルの増加の影響で風向・風速、日射、日照の観測に支障を受ける状況となったため、これらの観測測器を2006年(平成18年)に近隣の県立松山東高等学校(屋上)へ移設し、さらに2015年(平成27年)には松山市立桑原小学校へ移設して、貴重な観測を途切れることなく継続しています。

 現在の松山地方気象台の庁舎は、1928年(昭和3年)に愛媛県によって新築されたものですが、1938年(昭和13年)に気象業務とともに国に移管されました。本庁舎はその後、保存すべき近代建築物として愛媛県教育委員会など地域の推薦により文化財登録の申請が文化庁に対してなされ、2006年(平成18年)にその保存価値が認められ「登録有形文化財」として登録されました。

松山地方気象台の沿革
1890年(明治23年)1月1日 愛媛県立松山一等測候所として設置
(所在地:愛媛県温泉郡持田村)
1919年(大正 8年)5月15日 等級制廃止により、愛媛県立松山測候所に改称
1928年(昭和 3年)7月1日 現在地(松山市北持田102番地)へ庁舎移転
1938年(昭和13年)10月1日 国(文部省管轄)に移管し、中央気象台松山測候所に改称
1940年(昭和15年)2月1日 松山測候所に改称
1943年(昭和18年)11月1日 運輸通信省に移管
1945年(昭和20年)5月19日 運輸通信省が廃止となり、運輸省に移管
1956年(昭和31年)7月1日 中央気象台は「気象庁」に昇格し、運輸省の外局となる
1957年(昭和32年)9月1日 気象庁組織改正により松山地方気象台に昇格
1960年(昭和35年)1月8日 松山地方気象台松山空港分室を設置
1967年(昭和42年)8月1日 松山空港分室は松山地方気象台松山空港出張所に改称
2001年(平成13年)1月6日 省庁再編により国土交通省の外局となる
2006年(平成18年)3月27日 庁舎が登録有形文化財(文化庁)に登録される
2006年(平成18年)4月1日 組織改正により松山空港出張所は関西航空地方気象台松山空港出張所となる
2013年(平成25年)10月1日 組織改編により課制を廃止
2014年(平成26年)4月1日 関西航空地方気象台松山空港出張所を廃止(松山航空気象観測所となる)

~ 愛媛県に存在した気象官署など ~
県内気象官署図
 愛媛県内にはこれまで「石鎚山」、「宇和島」、「波止浜」など有人の測候所や気象通報所、気象観測所等がありましたが、高度化した新しい観測・予報・通信技術などの採用によって、その役目を終え廃止・無人化されました。


■石鎚山測候所
 石鎚山測候所は、1943年(昭和18年)10月1日より中央気象台石鎚山測候所として業務を開始し、1949年(昭和24年)3月31日に閉鎖しました。
 運用期間が5年にも満たない気象観測施設でしたが、標高2000m近くある西日本最高峰の山頂における気象観測所であり、年間を通じた厳しい気象環境の中、当時としては貴重な四国地方の高層(山岳気象)観測データの収集を行っていました。

■宇和島測候所(現宇和島特別地域気象観測所)
 宇和島測候所は、1922年(大正11年)に愛媛県によって「愛媛県立松山測候所宇和島支所」として設置され気象業務を開始しました。

 その後、松山地方気象台と同様に国に移管され気象観測を継続していましたが、2005年(平成17年)10月1日に測候所無人化により「特別地域気象観測所」へ移行し、現在は自動による「地上気象観測」を継続しています。

 なお、宇和島は桜(ソメイヨシノ)が日本一早く咲いたことが何度かあり、桜の開花が早いことで有名となっています。
 このようなことから、桜の開花についての生物季節観測を行っていた宇和島測候所は、桜開花の情報発信地としてよく知られていました。
宇和島測候所
宇和島測候所の沿革
1922年(大正11年)4月1日 愛媛県立松山測候所宇和島支所として設置
(所在地:宇和島市住吉町)
1938年(昭和13年)9月30日 愛媛県立松山測候所の国営移管にともない、愛媛県立宇和島測候所に改称
1939年(昭和14年)11月1日 国に移管され、宇和島測候所となる
1993年(平成5年)2月1日 現在地(宇和島市住吉町)の宇和島港湾合同庁舎に移転。
2005年(平成17年)10月1日 無人化により、宇和島特別地域気象観測所に移行。

波止浜気象通報所 ■波止浜気象通報所(前身は波止浜観測所)
 通報所の前身である波止浜観測所は、航空気象観測網の充実のため、1939年(昭和14年)1月11日より中央気象台波止浜観測所として観測を開始しましたが、1949年(昭和24年)11月1日に廃止されました。
 しかし、1954年(昭和29年)11月1日に新たに気象通報所として設置され、1978年(昭和53年)4月31日に閉鎖しました。
 波止浜港付近にあった通報所では、瀬戸内海の穏やかな気候のなか、時には霧に覆われた気象状況のなかで、気象観測を行っていました。

■大洲気象通報所
 大洲気象通報所は、1955年(昭和30年)5月1日より気象通報所として業務を開始し、1971年(昭和46年)3月31日に閉鎖しました。
 通報所は眼下に肱川の豊かな流れと町並みを見下ろす小高い山の上にあり、約16年間、気象観測業務を行うとともに大野ヶ原無線ロボット雨量観測所(現西予市。廃止済み)のデータ管理や保守も行っていました。

■その他の気象観測所
 上記のほか、私立測候所として住友別子鉱業所(当時の名称)による「住友新居浜測候所」及び「別子(べっし)・四阪島(しさかじま)・東平(とうなる)の各観測所」や旧日本海軍による「佐田岬観測所」などの気象観測所の存在が確認されています。
大野ヶ原雨量観測所

県内気象官署時系列図