宮古島地方気象台の沿革


宮古島地方気象台の沿革

昭和12年10月28日
(1937年)
中央気象台附属宮古島測候所として創設される
昭和20年 8月23日
(1945年)
敗戦により業務を中断する
昭和21年 5月12日
(1946年)
中央気象台宮古島測候所として業務を再開する
昭和25年 1月 1日
(1950年)
琉球軍政府の管理のもとで琉球気象局(現沖縄気象台)宮古島測候所となる
昭和27年 4月 1日
(1952年)
琉球政府の発足により琉球気象台宮古島測候所となる
昭和40年 8月 1日
(1965年)
宮古島気象台に改称される
昭和45年3月10日
(1970年)
宮古島航空測候所が設置され航空気象業務を開始する
昭和47年5月15日
(1972年)
本土復帰により宮古島気象台は宮古島地方気象台に、
宮古島航空測候所は宮古空港出張所に改称される
昭和55年 7月 1日
(1980年)
宮古島地方気象台下地島空港出張所が設置され業務を開始する
平成18年 4月 1日
(2006年)
航空気象業務の組織再編に伴い、宮古空港出張所及び
下地島空港出張所は那覇航空測候所の管轄となる

宮古島測候所創設の経緯

宮古島臨時気象観測所
 昭和6年8月9日早朝、宮古島に猛烈な強さで襲来した台風は、ルソン島東方海上から北東に進み、 宮古島を襲ったもので、最大風速は不明であるが、50m/s以上吹いたものと推定された。 被害記録 死者6名・家屋倒壊 3,717棟 学校・官庁等の公共建物80棟・船舶の損害48隻という 大被害を被った。
 当時は、宮古島に測候所はなく、沖縄測候所発表の暴風警報を気象通知電報で受けていた。 予報は天気俚諺等に頼るほかなかった。島の住民は、この台風を契機に、測候所建設が絶対に必要で あることを痛感するに至り、当時の立石支庁長は県を通じて政府に盛んに陳情を行った。
 政府は測候所設置を認め、その前提として昭和7年から臨時気象観測所を置くことを定めた。 宮古支庁構内にやぐらを建てて風力台と木造無線塔・暴風信号柱(昼夜間用)を建て事務所を開設した。
 開設業務を行うため昭和7年6月沖縄測候所から具志幸孝が派遣され、神戸海洋気象台の春風丸に 乗り気象測器及び無線受信機等を設置した。測器はフォルタン気圧計、ロビンソン風力計、電気盤、 風信器、同自記部、百葉箱、乾湿計、気温と湿度の自記器(手製のもの)、等を取りつけて測候所並の 観測を行った。観測は6回(平常)で3回気象電報を中央気象台と沖縄測候所に打電した。
 長波受信機を備え、中央気象台・沖縄測候所の気象通報を受信し、1日3回の天気図を作成した。 予報は毎日新聞と支庁掲示板で発表した。
 台風時は構内の暴風信号柱に赤玉及び赤電球をつけ規定どおりの信号通報をした。
 昭和7.8.9年の3ヵ年で6月から9月まで4ヵ月間の台風期を具志幸孝・具志堅古城・加藤茂数・ 新城米次郎の4名が交代して出張勤務した。
 その間に宮古島測候所の新庁舎の敷地が選定され、平良市下里馬場を決定し建設が始まった。


宮古島測候所創設
昭和12年10月28日 業務開始