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1 はじめに
地球は卵の殻のように、プレートと呼ばれる厚さ数10kmの岩盤で覆われています。このプレートは大小10数枚に分かれていて、年間数cmの速さで移動しています。このプレート活動により地下には歪(ひずみ)が蓄積されます。岩盤が歪エネルギーに耐えられなくなって破壊され、その衝撃波が放出・伝播していく現象が地震です。
奈良県に被害を及ぼす地震は、2つのタイプに大別できます。一つは内陸活断層による地表から20km位までの浅い内陸直下型地震(プレート内地震)、もう一つはプレート境界域でのフィリピン海プレートの沈み込みによる40kmから70kmの深さの海溝型地震(プレート間地震)です。
地震による被害を軽減するためには、大地震に対する理解を深め、十分な対策をとることが肝要です。
2 海溝型地震(プレート間地震)
日本の周辺では4枚のプレートが接していて、海側の太平洋プレートとフィリピン海プレートが陸側の北米プレートとユーラシアプレートの下に沈み込んでいます(右図)。海溝型地震とは、陸と海のプレートの押し合う力によって断層面が破壊されることにより発生する地震です。 海溝型地震発生のメカニズム(1)陸側のプレートの下に海側のプレートが沈み込み、陸側のプレートの先端部が引きずり込まれ歪が蓄積されます。 (2)この歪が限界を超えたとき、いっきに陸側のプレート先端部が跳ね上がります。このときに衝撃波が放出・伝播し地震が発生します。また、海では津波が発生します。 |
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政府の中央防災会議(平成15年12月)では、今後想定される東南海・南海地震が同時に発生した場合の震度分布(右図)について検討しました。それによると、遠州灘西部から四国沖までの沿岸部の所々で震度7、奈良県でも南部の一部で震度6弱、人口の多い北西部でも震度5強の強い揺れが想定されています。 |
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3 内陸直下型地震(プレート内地震)
この断層運動は、地下の断層面の岩盤に新たに蓄えられた歪のエネルギーが開放された際に、断層面がずれ動くことによります。 マグニチュード(M)と断層の長さを右の表に示します。Mが1大きくなると断層の長さはおよそ3倍になります。 こうした活断層の活動間隔は、一般的には数千年以上から数万年で、海溝型地震に比べるとかなり長いですが、一旦発生するとその活断層を中心に局地的に大地震となり、甚大な被害が発生することがあると予想されています。 |
4 奈良県の活断層
奈良県のある紀伊半島では、地質構造上、南西日本を内帯と外帯に区分する中央構造線がほぼ東西に横切っています。この構造線を境に、県北部では活断層の分布密度が高く、過去の内陸地震の痕跡を多く残しています(下図)。
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5 奈良県の被害地震
日本は世界でも有数の地震多発国です。奈良県には古くから都がおかれ、古文書などからも多くの地震による被害記録が残っています。太平洋戦争後も1946年(昭和21年)南海地震、1952年(昭和27年)吉野地震、1995年(平成7年)兵庫県南部地震などの被害を受けてきました。
宝永地震:1707年10月28日(宝永4年10月4日)、マグニチュード(M)=8.4伊賀上野地震:1854年7月9日(嘉永7<安政1>年6月15日)、マグニチュード(M)=7.3
三重県西部を震源とする内陸直下型地震で、伊賀・伊勢・大和に大きな被害をもたらしました。
死者は千数百人、奈良県でも450から520人となっています。
奈良県に被害をもたらした地震(1930年以降の主な地震) | ||
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発生年月日 | マグニチュード | 発生地域(地震名) |
1936年 (昭和11年) 2月21日 | 6.4 | 大阪・奈良府県境(河内大和地震) |
1944年 (昭和19年) 12月7日 | 7.9 | 熊野灘(東南海地震) |
1946年 (昭和21年) 12月21日 | 8.0 | 南海道沖(南海地震) |
1952年 (昭和27年) 7月18日 | 6.8 | 奈良県中部(吉野地震) |
1962年 (昭和37年) 1月4日 | 6.4 | 紀伊水道 |
1995年 (平成7年) 1月17日 | 7.3 | 淡路島付近(兵庫県南部地震) |
2000年 (平成12年) 10月31日 | 5.7 | 三重県中部 |
2004年 (平成16年) 9月5日 | 6.9 | 紀伊半島沖 |
2004年 (平成16年) 9月5日 | 7.4 | 東海道沖 |
6 地震に関するホームページ