新潟地方気象台の歴史
新潟地方気象台の前身である測候所は、明治14年(1881年)に設置されていますので、130年近くの歴史になります。 この間、市内で3回移転しています。また、国営か県営か、測候所か気象台かなど、所属や名称も何回か変わっています。 現在は国土交通省の外局である 気象庁の地方出先機関となっています。
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このように、学校町通り時代が約10年、旭町通り時代が約37年、西船見町時代が約11年、そして現在地が約70年で、現在地が最も長いことになります。
測候所が西船見町に移転した頃の新潟海岸は、大変に広い砂浜を有した海岸でしたが、侵食が急速に激しくなり、西船見町時代の庁舎も昭和20年代には海の中となり、昭和30年代にはその姿すら見ることが出来なくなりました。
なお、戦後の一時期には小型の観測船「古志丸」を保有し、佐渡海峡での海洋観測も行っていました。
昭和38年(1963年)には弥彦山(多宝山)での気象レーダー観測を開始しています。
気象台は信濃川沿いにありますが、もともとは信濃川の河川敷だったところです。昭和初期の地図によれば、すでに陸地となっていますが、現在、気象台の南約200mの県道(新潟・小須戸・三条線)付近が堤防だったようです。また、土地条件図によれば、気象台付近は低い盛り土となっています。
このため、昭和39年(1964年)6月16日午後1時過ぎに発生した「新潟地震」では、地盤の液状化による被害を受けました。また、地震に伴い発生した大きな津波が信濃川をさかのぼり、川沿いにある気象台もこの津波により1mほど浸水してしまいました。このため、昭和40年(1965年)に庁舎の建て替えが行われ、現在に至っています。
また、現在、気象台の露場にあるソメイヨシノの標本木は、新潟地震後のものであり、この木による開花の観測は木の成長を待って昭和50年代になってから行われています。それまでは一時的に鳥屋野潟で観測していました。
なお、新潟県内には相川測候所(明治44年(1911年)設立)と高田測候所(大正10年(1921年)設立)がありましたが、いずれも平成19年に無人化となりました。現在は特別地域気象観測所として、気温、降水量、風向風速、日照時間、積雪、湿度、気圧、視程など基本となる観測を器械によって自動的に行っています。
また、昭和31年(1956年)から昭和53年(1978年)まで長岡には気象通報所が設置されていました。
昭和34年(1959年)には新潟空港内に「空港分室」が設置され、名称変遷等ありましたが「東京航空地方気象台新潟空港出張所」として現在に至っています。








