宮城県に影響を及ぼした地震・津波の被害

理科年表に掲載されている被害地震・津波です。
1900年より前 | 1900年台 | 2000年以降
869(貞観11)年7月13日、三陸沖、M8.3
869年7月13日の震央図

城郭、倉庫、門櫓、垣壁が崩れ落ち、倒壊したものが多数あった。人々は倒れて起きることができないほどであった。
津波が襲来し、海水は城下(現在の多賀城)にまで到達し、溺死者1000人。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1611(慶長16)年12月2日、三陸沖、M8.1
1611年12月2日の震央図

三陸地方で強震。震害は未発見。津波による被害が大きかった。
伊達政宗領内で死者1,783人。南部・津軽で人馬3,000余死亡という。宮城県岩沼、刈田郡にも津波が押し寄せ、岩沼あたりでは家屋が残らず流出した。
相馬領での死者700人。今泉(陸前高田市)で溺死者50人、家はほとんど流された。宮古でも一軒残らず波にとられた。北海道東部にも津波押し寄せ溺死者が多かった。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1616(元和2)年9月9日、宮城沖、M7.0
1616年9月9日の震央図

仙台城の石壁、櫓などが破損した。
仙台城の発掘の結果、この地震後に修復された石垣が見つかった。(金森安孝、2000、仙台城本丸跡石垣修復に伴う発掘調査、日本歴史No.626、102-111)
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1646(正保3)年6月9日、陸前(宮城県南部)、M6.5~6.7
1646年6月9日の震央図

仙台城の石垣が崩れ、その他破損が多かった。白石城の東方および北方の石壁と櫓が破損した。会津で少々の地割れ、天水の水こぼれ、石垣が2~3間崩れた。城内・家中はともに破損なし。日光東照宮の瑞垣ならびに石垣が破損した。江戸でもかなり強く感じた。津波の記事は見当たらず。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1678(延宝2)年10月2日、宮城沖、M7.5
1678年10月2日の震央図

花巻では城の石垣が崩れ、御台所諸士の家も損傷した。町屋15(一説に95)棟、土蔵5棟が崩れた。死者1人。白石城の石垣が5ヵ所、合計6.5間(約12m)崩れた。秋田、米沢では家屋の損傷があった。会津若松城が小破した。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1717(享保2)年5月13日、宮城沖、M7.5
1717年5月13日の震央図

仙台城本丸・二丸の石垣が崩れ、神社等の石灯籠はほとんど倒壊した。ところどころに家・土蔵の崩壊・破損あり。
階上村は津波で田畑に被害があったという。花巻では家屋の破損が多く、地割れ、泥の噴出があった。
余震は4月いっぱいまで続いた。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1731(享保16)年10月7日、岩代(宮城県南部)、M6.5
1731年10月7日の震央図

桑折で家屋が300以上崩れ、橋が84梁落ちた。白石城の石垣・塀・矢倉などが崩れ、居家21軒、町屋12棟、土蔵18棟倒壊した。死者あり。
周辺の村では居家57軒、土蔵5棟倒壊し、七ヶ宿でも家・土蔵の壁が落ち、材木や岩が落ちた。蔵王の高湯でも家の破損が多かった。小原温泉で山が崩れ、泉脈が絶えた。
仙台城に小破損あり。梁川で壁崩れ、藤田町で家屋が16-17軒破損した。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1736(享保21)年4月30日、仙台、M6.0
1736年4月30日の震央図

仙台で城の石塁、澱橋などが破損した。その他の社寺は無事だった。余目・大迫町・江戸で揺れを感じた。余震が数十回あった。
仙台東方沖の地震かもしれない。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1793(寛政5)年2月17日、三陸沖、M8.0~8.4
1793年2月17日の震央図

陸中・陸前・磐城沿岸・銚子に津波が襲来した。大槌・両石で流失した家屋が71軒、死者9人、流失した船19艘。綾里・気仙沼・鮫(牡鹿半島)の流失した家屋はそれぞれ70~80、300余、10程度。大船渡で波高9尺(2.7m)ともいう。津波の被害は陸前でも大きかった。内陸では仙台で建物に小被害あり。花巻で町家の倒壊6棟、土蔵全壊1棟、大破9棟。黒沢尻で土蔵大破3棟、南鬼柳にも小家の破損あり。仙台卦内(ホウナイ)で死者12人、家屋の損壊1,060棟以上。登米で家屋の倒壊10棟、死者2人、米岡町で家屋の倒壊が46棟。福島で家、蔵の全壊が各20棟。被害は現在の岩手・宮城・福島・茨城各県に及び江戸でも極小の被害あり。全体で家潰流失1,730棟以上、船流破33艘、死者44人以上。余震が多く10ヶ月も続いた。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1835(天保6)年7月20日、宮城沖、M7.0
1835年7月20日の震央図

仙台城の石垣が崩れ、藩内で家、土蔵が破損したという。登米、本吉、桃生郡方面で家、土蔵が倒壊した。藤沢(岩手県)から仙台間で震度5と思われる。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1861(文久1)年10月21日、宮城沖、M7.4程度
1861年10月21日の震央図

陸前国(宮城県)の遠田、志田、登米、桃生の各郡で特に被害が多く、潰家や土蔵の崩壊、死傷者があった。桃生郡野蒜村で津波があった。宮城県沖地震の一つであると考えられている。
【参考文献:『気象集誌』19年第7号、日本気象学会】

1896(明治29)年6月15日、三陸沖、M8.2程度
1896年6月15日の震央図

(明治三陸津波)
三陸海岸から約200kmの沖合いに震源があったため微震程度であったが、震動はやや長く継続し、十勝国茂寄村では地響きを約5分間感じた。地震による直接の被害はなかったが、地震後大津波に襲われ三陸海岸に大被害をもたらした。宮古では地震後18分に引き波で始まり、20時07分には最大波高4.6mを示した。釜石湾では波高5.4mに達し、人口6,557人のうち溺死者4,700人、負傷者500人、個数1,223戸のうち流失1,088戸。中でも最も激しかったのは陸前国吉浜で、波の高さは24.4mに達した。三陸東海岸を通じて住家の流失6,049戸、全壊537戸、半壊小破損771戸に及び、このほか社寺・学校・倉庫などの流失2,477棟、全壊239棟、半壊297棟、死者21,953人、負傷者4,398人。花咲検潮記録によれば、20時50分頃の35cmの押し波で始まり、次いで96cmの引き波を示したが、22時頃から検潮儀が故障した。その他北海道沿岸においても3~5mの津波が押し寄せ被害をもたらした。この津波は遠く太平洋を横断してハワイおよびサンフランシスコの検潮儀にも記録があった。災害地を通じて家屋全半壊・流失10,617戸、溺死者27,122人。
【参考文献:日本付近の地域・海域別の被害地震・津波地震の表および震度分布図、気象庁】

1897(明治30)年2月20日、宮城県沖、M7.4
1897年2月20日の震央図

震域が広く、土地の亀裂、土砂の噴出などがあった。仙台市で煙突の倒壊、石垣の破損、煉瓦家屋の損害、橋台の陥落などがあった。
石巻ではさらに震動が強く、堤防・道路の決壊、家屋の全壊1棟、半壊10棟あり。
一関では家屋の大破60棟、小破12棟、土蔵の破損127棟、煙突破損6などあり。福島・山形両県でもかなりの被害。気仙郡盛町で海水の増水約1m。宮城県沖地震の一つであると考えられている。
【参考文献:日本付近の地域・海域別の被害地震・津波地震の表および震度分布図、気象庁】

1897(明治30)年8月5日、三陸沖、M7.7
1897年8月5日の震央図

震害はなかったが、小津波が釜石から雄勝あたりまで襲来した。釜石では波高4尺(1.2m)、北上川河口で1~2尺、盛では約1丈(3m)であった。被害は浸水家屋56棟などがあった。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1898(明治31)年4月23日、宮城県沖、M7.2
1898年4月23日の震央図

有感地域は北海道の南半分から近畿に及んだ。岩手県沿岸に小被害。宮城県では石巻で土蔵壁に亀裂。金華山で家屋の屋根、屋壁、煙突に被害。亘理で小被害。小津波(鮎川で全振幅20cm)あり。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】


1900(明治33)年5月12日、宮城県北部、M7.0
1900年5月12日の震央図

遠田郡で被害最大、桃生・登米・志田の各郡も強かった。被害は文献により異なる。
警察による統計は死傷者17人、家屋の全壊44戸。
遠田郡南小牛田村は64戸のうち45戸が大破・転倒した。柱が折れ、傾いた家が多かった。栗原郡若柳町で家屋の全壊5棟、半壊2棟、破損27棟、土蔵の崩壊20棟。仙台では壁の小亀裂にとどまり、塩釜では煙突倒れ、石垣が崩れた。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1915(大正4)年11月1日、宮城県沖、M7.5
1915年11月1日の震央図

石巻あたりで屋上の天水桶の墜落、小津波あり。志津川湾、荒浜村で高さ2~3尺(0.6~0.9m)。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1933(昭和8)年3月3日、三陸沖、M8.1
1933年3月3日の震央図

(昭和三陸津波)
岩手県宮古市・宮城県石巻市・仙台市・福島県福島市で震度5を観測するなど、北海道から近畿・中国地方にかけての広い範囲で有感となった。地震による被害は少なく、三陸地方で壁の亀裂、がけ崩れ、石垣・堤防の決壊があった程度。地震後約30~60分の間に津波が北海道と三陸沿岸を襲い、大きな被害が出た。岩手県沿岸の津波の高さは10m以上にも及び、とくに綾里湾では28.7mにも達した。この津波は九州にいたる太平洋沿岸各地に及び、さらに津波は北米・南米の太平洋沿岸にも到達した。この津波による人的被害は、死者・行方不明者3,064名、負傷者1,092名にのぼった。そのほか、家屋の流失が4,034棟、家屋の倒壊が1,817棟、家屋の浸水が4,018戸、船の流失・破損が5,860隻、ほかに漁業港湾関係施設等の破壊流失および道路・橋梁・田畑・家畜等で多くの被害が生じた。津波被害の大半以上は岩手県が占めており、とくに田老(岩手県)では、人口1,798人のうち死者763人、負傷者118人、戸数145のうち77が流失した。白浜(岩手県)では、戸数42のうち32が流失し、66人が死亡した。また、釜石町で住民避難中に火災が発生し、消火にあたるものがなく、大火となった。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1936(昭和11)年11月3日、宮城県沖、M7.4
1936年11月3日の震央図

東北地方の太平洋沿岸で津波が観測された。津波の最大波は、八戸67cm、気仙沼漁港28cm、女川67cm、石巻20cm、小名浜18cmを観測した。この津波による被害の報告はなかった。この地震により、宮城県で負傷者4名、全壊非住家3棟、半壊住家2棟、同非住家2棟、道路欠損35(約410m)箇所、仙台大崎八幡の灯ろう約60個のうち3個倒壊などの被害があった。その他福島-宮城県沿岸で屋根瓦と土蔵壁剥落および道路亀裂がみられるなどの被害が生じた。宮城県沖地震の一つであると考えられている。
【参考文献:日本付近の地域・海域別の被害地震・津波地震の表および震度分布図、気象庁】

1938(昭和13年)年11月5日、福島県沖、M7.5、1938(昭和13年)年11月6日、福島県沖、M7.4
1938年11月5,6日の震央図

(福島県東方沖地震)
宮城県石巻市・仙台市・福島県福島市・いわき市で震度5を観測した。東北地方・関東地方の太平洋沿岸で津波が観測され、津波の高さの最大は、花淵(宮城)113cm・鮎川104cm・小名浜107cmであった。この津波による被害の報告はされなかったが、養殖棚の一部流出(岩手県)や、発動機線の濾網切断(茨城県)程度の影響があった。人的被害は、福島県で死者1名、負傷者9名、物的被害は福島県下で全壊住家4棟、半壊住家29棟であった。11月30日まで津波を伴った地震は7回を数えた。大規模な群発地震で、11月中の有感地震は300回、12月は23回に達した。
【参考文献:渡辺偉夫、日本被害津波総覧(第2版)、東京大学出版会】

1956(昭和31)年9月30日、宮城県南部、M6.0
1956年9月30日の震央図

福島県福島市で震度4を観測した。被害は白石市付近で死者1名・重傷者1名の人的被害、非住家倒壊3棟のほか、塀や垣根などの破壊が14箇所、小規模な地割れや崖崩れところどころで発生、土蔵・家屋に亀裂が多く発生し、鉄道・電力施設にも小さな被害があり、小原温泉塩倉で墓石が転倒(40%)するなどの物的被害があった。また、小原温泉の一部で湧出量変化と地下水汚濁、白石市一帯でドンという音の地鳴り、斎川で約8mmくらいの沈下が見られた。この地震の余震活動は活発で、同年11月まで続いた。また、鳴動を伴った余震が頻発したため、白石市周辺では蔵王山噴火のようなデマが飛び交い、住民を不安に陥れた。
【参考文献:東北地方(内陸)の地震活動、仙台管区気象台】

1960(昭和35)年5月23日、南米西部、M8.5
1960年5月23日の震央図

(チリ地震津波)
日本沿岸で津波が観測され、津波の最大波高は、花咲339cm、八戸582cm、御前崎380cm、土佐清水268cm、油津202cmなどで、三陸沿岸北部で異常に高い地頃があった。この地震による津波では、東北地方の三陸沿岸を中心に、死者119人(岩手県58人、宮城県45人)、行方不明者20人、負傷者872人が犠牲となり、また、建物の全壊1,571戸、半壊2,183戸、流失1,259戸のほか道路の損壊や橋の流失、堤防決壊、船舶の沈没や流失など甚大な被害となった。とくに被害が大きかったのは宮城県の志津川で、津波は約1km内陸に達し、死者行方不明者37人、負傷者560人、家屋全壊986戸、半壊364戸、流失186戸、床上浸水1,756戸に達した。気象庁は、この地震津波を「チリ地震津波」と命名した。
【参考文献:宇佐美龍夫、日本被害地震総覧、東京大学出版会】

1962(昭和37)年4月30日、宮城県北部、M6.5
1962年4月30日の震央図

(宮城県北部地震)
岩手県盛岡市・水沢市・宮城県石巻市・仙台市・山形県新庄市・福島県福島市で震度4を観測した。人的被害は、死者3名、重傷者41名、軽傷者235名にのぼった。物的被害は、住家全壊が369棟、半壊1,542棟、一部被害25,575箇所、非住家被害37,003棟のほか橋梁・道路・鉄道などにも損壊多発(公共施設410箇所・水道1,259箇所・道路298箇所・河川390箇所・橋梁187箇所・鉄道298箇所)、通信線はかなりの被害があった。この地震の余震活動は活発であった。この有感余震はほぼ同年5月いっぱい続いた。気象庁はこの地震を「宮城県北部地震」と命名した。
【参考文献:気象要覧、気象庁】

1978(昭和53)年6月12日、宮城県沖、M7.4
1978年6月12日の震央図

(1978年宮城県沖地震)
岩手県大船渡市・宮城県石巻市・仙台市・山形県新庄市・福島県福島市で震度5 を観測した。北海道から東北地方の太平洋沿岸で津波が観測され、最大波高は釧路17cm、函館10cm、八戸22cm、宮古14cm、大船渡24cm、鮎川20cm、小名浜15cm、仙台新港30cm、日立港18cm、大洗17cm、鹿島港16cmなどであった。津波による被害の報告はなかった。この地震による人的被害は東北全県におよび、死者28人、負傷者1,325人にのぼった。そのほか家屋全壊1,183棟、半壊5,574棟、半焼7棟などの被害が生じた。建物被害は新興の宅地造成地に集中して発生し、ひな壇形式のところが特に顕著であった。この地震は塀やブロック塀の破損・倒壊による死傷者が目立ち、都市開発型の被害特徴を持つものとして注目された。気象庁はこの地震を「1978年宮城県沖地震」と命名した。
【参考文献:気象庁技術報告第95号1978年宮城県沖地震調査報告】

1996(平成8)年8月11日、秋田県内陸南部~宮城県北部、M6.0ほか
1996年8月11日の震央図

宮城県栗駒町沼倉で震度5を3回観測した。地震活動は一時的に地震回数の増減はあったものの、ほぼ規則的に減少し、概ね本震-余震型の経過をたどった。地震回数は9月30日までに5,666回(山形金山の地震計)を観測し、このうち136回が有感となった。これら一連の地震活動で最大の地震は8月11日03時12分に発生したM6.0の地震であったが、被害のほとんどは8月11日08時10分に発生したM5.8により発生している。被害は、宮城県鳴子町鬼首地区を中心に秋田・山形県で負傷者16名(うち重傷者1名)、住家半壊28棟、道路・橋梁及び公共施設などに生じた。この地震活動と栗駒山の火山活動との関係は不明だが、表面現象等に変化はなかった。
【参考文献:1996年秋田・山形・宮城県境付近の地震現地調査報告、仙台管区気象台】

1998(平成10)年9月15日、宮城県南部、M5.2
1998年9月15日の震央図

仙台市で震度4を観測した。地震活動は、前震-本震-余震型で推移した。被害は軽傷者1名、住家一部破損20棟、窓ガラス破損等が生じた。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】


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2003(平成15)年5月26日、宮城県沖、M7.1
2003年5月26日の震央図

26日18時24分に宮城県沖の深さ72kmでM7.1の地震が発生し、宮城県石巻市などで震度6弱を観測した。北海道から中部地方にかけての広い範囲で有感となったが、津波は観測されなかった。この地震は、太平洋プレート内部で発生したものである。この地震による被害は、宮城県と岩手県を中心に負傷者174名、住家全壊2棟、住家半壊21棟、住家一部損壊2342棟、火災発生4件、道路破損173箇所となった(6月30日現在、総務省消防庁による)。地震活動は本震-余震型で推移し、6月30日現在までに有感地震216回、無感地震を含む総回数(大船渡猪川の地震計による)は507回を数えた。最大規模の余震は、2004年(平成16年)12月30日のM5.0(最大震度4)であった。なお、地震調査委員会は想定される宮城県沖地震とは位置や発震機構がことなることから、想定される宮城県沖地震ではないと発表した(5月27日)。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】

2003(平成15)年7月26日、宮城県北部、M6.4
2003年7月26日の震央図

26日07時13分に宮城県北部の深さ12kmでM6.4の地震が発生し、宮城県鳴瀬町などで震度6強を観測した。北海道から中部地方にかけての広い範囲で有感となった。この地震は浅い地殻内で発生した。地震活動は前震-本震-余震型で推移し、前震は4時間前の00時13分にM5.6(最大震度6弱)であった。余震は9月30日までに前震、本震を含む有感地震が490回、無感地震を含む総回数(石巻大瓜の地震計による)は2036回を数えた。この地震活動による被害は、負傷者647名、住家被害6413棟などであった(7月13日現在、総務省消防庁による)。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】

2005(平成17)年8月16日、宮城県沖、M7.2
2005年8月16日の震央図

16日11時46分に宮城県沖の深さ42㎞でM7.2の地震が発生し、宮城県川崎町で震度6弱、宮城県仙台市、石巻市、福島県相馬市、岩手県藤沢町などで震度5強を観測したほか、東北地方を中心に北海道から四国地方の一部にかけて震度5弱~1を観測した。この地震は、陸のプレートと太平洋プレートの境界で発生した地震である。この地震により宮城県を中心に、負傷者91名、住家全壊1棟などの被害が報告されている(総務省消防庁による)。また、この地震により、石巻市鮎川(宮城県)で0.1mの津波を観測した。この地震について地震調査委員会は「今回の地震は宮城県沖地震の想定震源域の一部が破壊されたものの、地震の規模が小さいことなどから、想定している宮城県沖地震ではないと考えられる」と評価している。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】

2008(平成20)年6月14日、岩手県内陸南部、M7.2ほか
2008年6月14日の震央図

「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」
14日08時43分、岩手県内陸南部の深さ8kmでM7.2の地震が発生し、岩手県奥州市と宮城県栗原市で震度6強、宮城県大崎市で震度6弱を観測したほか、東北地方を中心に北海道から関東・中部地方にかけて震度5強~1を観測した。 また、同日09時20分にM5.7の最大余震が宮城県北部で発生し、宮城県大崎市で震度5弱を観測したほか、宮城県を中心に東北地方から関東・甲信越地方にかけて震度4~1を観測した。 これらの地震により宮城県を中心に岩手県、秋田県、山形県、福島県で、死者17名、行方不明6名、負傷者426名、全壊家屋30棟、半壊家屋146棟など被害を生じた(平成22年6月18日17時00分現在 総務省消防庁による)。 気象庁はこの地震を「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」と命名した。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、災害時自然現象報告書2008年第1号、気象庁】

2008(平成20)年7月24日、岩手県沿岸北部、M6.8
2008年7月24日の震央図

24日00時26分に岩手県沿岸北部の深さ108kmでM6.8の地震が発生し、青森県八戸市、五戸町、階上町、岩手県野田村で震度6弱を観測したほか、東北地方を中心に、北海道地方から近畿地方にかけて震度5強~1を観測した。宮城県では、気仙沼市、栗原市、大崎市、石巻市などで震度5強を観測するなど、全域で震度3以上を観測した。この地震は、太平洋プレートの内部(二重地震面の下面)で発生した地震である。この地震により、死者1名、負傷者211名(うち重傷者35名)、住家全壊1棟、一部破損379棟などの被害を生じた(平成21年1月13日18時00分現在 総務省消防庁による)。 なお、岩手県洋野町大野の震度観測点では最大震度6強を観測したが、気象庁は、その後の調査によって震度の品質が適切でないと判断し、震度は不明とした(10月29日気象庁報道発表資料による)。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】

2010(平成22)年2月27日、南米西部(チリ中部沿岸)、M8.8
2010年2月27日の震央図

2010 年2月27日15時34分(日本時間)にチリ中部沿岸でMw8.8(気象庁によるモーメントマグニチュード)の地震が発生した。この地震により津波が発生し、震源に近いチリの検潮所で2mを超える津波を観測するなど、ほぼ1日かけて日本の太平洋沿岸に到達した。東北地方では久慈港で1.2mの津波を観測したほか、太平洋沿岸を中心に0.2m~1.1mの津波を観測した。この津波による日本での人的被害はないが、住家浸水、養殖施設の被害等が発生した(2010年3月10日現在、内閣府による)。 仙台管区気象台と盛岡地方気象台より機動調査班(JMA-MOT)を派遣し、現地調査を実施。臨海部の建物に残された痕跡などを分析した結果、岩手県から宮城県沿岸北部の地域では約1~2mの高さの津波があったと推定した。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】

2011(平成23)年3月9日、三陸沖、M7.3
2011年3月09日の震央図

9日11時45分に三陸沖でM7.3 の地震が発生し、宮城県で震度5弱を観測したほか、北海道から近畿地方にかけて震度4~1を観測した。この地震により、大船渡で55cm、石巻市鮎川で48cm、久慈港で46cmなど、北海道から関東地方の太平洋沿岸で津波を観測した。この地震により、負傷者2人、住家一部損壊1棟、その他建物の壁のひび割れなどの被害が、青森県、宮城県、岩手県、秋田県で生じた(平成23年3月10日20時現在、総務省消防庁による)。
【参考文献:気象庁技術報告第133号、気象庁】

2011(平成23)年3月11日、三陸沖、M9.0
2011年3月11日の震央図

「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」
平成23年3月11日14時46分、三陸沖を震源とするM9.0の地震が発生し、宮城県栗原市で震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県37市町村で震度6強を観測したほか、東日本を中心に北海道から九州地方にかけての広い範囲で震度6弱~1を観測した。 この地震に伴い、福島県相馬で高さ9.3m以上、宮城県石巻市鮎川で8.6m以上、岩手県宮古で高さ8.5m以上の津波を観測するなど、東北地方から関東地方にかけての太平洋沿岸で非常に高い津波を観測し、各地で甚大な被害が発生した。 気象庁は、国内観測史上最大規模の地震であったこの地震を「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」と命名した。また、この地震による災害について「東日本大震災」と呼ぶことが平成23年4月1日に閣議決定された。 この地震の発震機構は、西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、太平洋プレートと陸のプレートの境界の広い範囲で破壊が起きたことにより発生した地震である。 東北地方太平洋沖地震の余震は、岩手県沖から茨城県沖にかけて、震源域に対応する北北東-南南西方向に延びる長さ約500km、約200kmの範囲に密集して発生しているほか、震源域に近い海溝軸の東側や福島県から茨城県の陸域の浅い場所でも活動がみられる。最大余震は2011年3月11日15時15分に発生したM7.6の茨城県沖の地震(最大震度6強)で、これまでに発生したM7.0以上の余震は9回である(平成28年3月31日現在)。 東北地方太平洋沖地震以降に発生した余震による被害も含め、死者19,418人、行方不明2,592人、負傷者6,222人、全壊121,809棟、半壊278,496棟、一部破損744,190棟、床上浸水3,352棟、床下浸水10,233棟などの被害を生じた(平成28年3月1日現在, 総務省消防庁による)。 また、広範囲にわたり地震動による被害がみられた。茨城県や千葉県等では、液状化による建物や道路の被害も多数発生した。
【参考文献:気象庁技術報告第133号、気象庁】

2011(平成23)年4月7日、宮城県沖、M7.1
2011年4月7日の震央図

4月7日23時32分に宮城県沖の深さ66km でM7.1の地震(最大震度6強)が発生し、宮城県栗原市、仙台市宮城野区で震度6強、岩手県、宮城県の2県21市町村で震度6弱を観測したほか、東北地方を中心に、北海道から中国地方にかけて震度5強~1を観測した。 この地震により、死者4人、負傷者296人の被害が生じた(平成23年6月2日現在、総務省消防庁による)。 また、23時34分に宮城県に津波警報(津波)を、青森県太平洋沿岸、岩手県、福島県、茨城県に津波注意報を発表した(8日00時55分解除)。津波は観測されなかった。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】

2012(平成24)年12月7日、三陸沖、M7.3
2012年12月7日の震央図

「7日17時18分に三陸沖でM7.3の地震が発生し、青森県、岩手県、宮城県、茨城県、栃木県で震度5弱を観測したほか、北海道から九州地方の一部及び小笠原地方にかけての広い範囲で震度4~1を観測した。 この地震により、死者1人、負傷者15人の被害が生じた(平成24年12月20日現在、総務省消防庁による)。また、この地震により津波が発生し、石巻市鮎川で98cmなど、東北地方の太平洋沿岸で津波を観測した。
【参考文献:地震・火山月報(防災編)、気象庁】


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