昭和58年(1983年)日本海中部地震


はじめに

あの日を忘れない!~1983年5月26日「日本海中部地震」~

 1983年(昭和58年)5月26日、秋田県沖を震源とするマグニチュード(M)7.7の大地震が発生し、強い揺れの直後、東北地方の日本海側を中心に大津波が襲いました。
 この地震・津波で、全国で104人の方が亡くなり、このうち100人は津波によるものでした。
 また、地震の揺れによる被害も甚大で、地盤の液状化が各所でおこり被害を大きくしました。
 過去の災害を振り返り、地震・津波への備えを改めて確認していただくために、このページをご活用ください。
上の写真をクリックすると被害状況の写真のページが開きます。

概要

震央 秋田県沖
北緯  40度21.6分
東経 139度04.4分
深さ 14km
マグニチュード 7.7

 1983年(昭和58年)5月26日(木)11時59分、男鹿半島沖から津軽海峡の西側にかけての広い範囲を震源域として、マグニチュード(M)7.7の大地震が発生しました。この地震により、秋田県と青森県で震度5を観測したほか、北海道から中国地方にかけての広い範囲で有感となりました。
 地震発生から8分後の12時07分には青森県の深浦で、12時08分には秋田県の男鹿で津波の第1波を観測しました。津波は北海道から九州にかけての日本海沿岸を中心に観測され、津波の高さは、気象庁の現地調査で、青森県から男鹿半島にかけて5~6m、北海道奥尻島では3~4m、佐渡、能登半島、隠岐では2~3mに達しました。最大は震源に近い秋田県八竜町(現在の三種町)で6.6mでした。また、東北大学工学部の調査では、秋田県峰浜村(現在の八峰町)で14mに達したことが報告されています。
 この地震・津波により、全国で104人の方が亡くなり、このうち100人が津波によるものでした。このほか、負傷者324人、建物の全壊・流出1,584棟、半壊3,515棟、船舶被害2,598隻など甚大な被害となりました(1983年11月1日現在:非常災害対策本部調べ。被害状況の詳細はこちら)。
 気象庁はこの地震を「昭和58年(1983年)日本海中部地震」と命名しました。
 なお、この地震から約1ヶ月後の6月21日にはM7.1の最大余震(青森県で震度4、秋田県で震度3)があり、能代・深浦・酒田等で津波が観測されました。また、付近では5月14日頃から最大M5.0の前震活動が見られました。




  • 震度分布図
    全国の震度分布図を見たいときは、図をクリックして気象庁HP(震度データベース)で確認することができます。


地震・津波による被害の特徴など

 津波による被害は北海道から中国地方の日本海沿岸の広い範囲におよび、この地震で亡くなった方104人のうち、100人(秋田県:79人、青森県:17人、北海道:4人)が津波によるものでした。また、日本海の対岸の朝鮮半島やソビエト連邦(当時)にも死者を含む大きな津波災害があったと伝えられています。
 仙台管区気象台は、地震発生から15分後の12時14分に東北地方の日本海沿岸と陸奥湾に「オオツナミ」の津波警報を発表しましたが、津波の第1波は、早いところで12時07分には沿岸に到達していました。被害が大きかった秋田県や青森県の日本海沿岸では、津波警報が沿岸の住民に伝わらなかったところもあったと言われています。また、津波による大きな被害の経験がしばらくなかったことなどもあり、警報の重大性が認識されなかったことや、「日本海には津波はない」といった俗説などが避難の遅れにつながり、犠牲者を増やした原因の一つとされています。
 なお、気象庁ではこの地震を契機に津波警報等の迅速化に取り組み、現在は地震発生から3分を目途に津波警報等を発表しています。
 日本海中部地震から10年後の1993年には、この地震の震源域の北側で北海道南西沖地震(M7.8)が発生しました。日本海中部地震や北海道南西沖地震などが発生した日本海東縁部は、今後も大きな地震が発生する可能性があります。日本海で発生する津波は、津波を発生させる震源域が陸地に近いため、地震発生直後に津波が沿岸に押し寄せる可能性があります。
 海岸付近や海に近い河口付近で大きな揺れを感じたら、津波警報等を待つことなく、揺れが収まったら直ちに安全な高台に避難してください。

 また、地震の揺れによる被害は秋田県と青森県に集中し、秋田県で4人が亡くなり、建物・道路・鉄道・堤防などに甚大な被害がありました。なかでも地盤の液状化が各所でおこり被害を大きくしました (液状化地点分布図)。
 液状化現象は、水分を多く含んだ砂状の地盤(埋立地や干拓地、昔の河道を埋めた土地、砂丘や砂州の間の低地など)が、強く揺さぶられるために発生する現象です。地面から泥水が噴き出してきたり、地盤沈下が起こることがあり、比重の大きいビルや橋梁などが沈下したり、比重の小さい地下埋設管やマンホールなどは浮力で浮き上がったりします。


被害写真・動画

 

より多くの写真はこちらに掲載しております。

 ▶被害状況の写真一覧

▶来襲した津波の動画
 「日本海中部地震津波 The first video of tsunami shot from the side, Oga City, Akita, Japan(May 26th, 1983)」
 大潟村干拓博物館 船木信一館長がYouTubeで公開している動画



関連リンク

参考資料・出典

  • 気象庁技術報告第106号〔昭和58年(1983年)日本海中部地震調査報告〕
  • 日本の地震活動―被害地震から見た地域別の特徴―<第2版>(平成21年3月)〔地震調査研究推進本部地震調査委員会編〕
  • 昭和58年(1983年)日本海中部地震の記録 被害概況と応急対策(昭和59年3月)秋田県
  • 昭和58年(1983年)日本海中部地震の記録 被災要因と実例(昭和59年12月)秋田県
  • 昭和58年(1983年)日本海中部地震による災害現地調査報告 昭和59年2月 科学技術庁国立防災科学技術センター
  • 1983年日本海中部地震による災害の総合的調査研究(昭和59年3月)研究代表者 乗富一雄
  • 日本海中部地震 M7.7真昼の恐怖 -直撃地、能代・山本の記録-(昭和58年7月25日)北羽新報社
  • 秋田魁新報新聞記事
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