昭和47年7月豪雨(1972年 7月4日~6日)
概要
7月2日黄河下流域で発生した低気圧は5日朝には日本海に進み、中心から伸びる寒冷前線が九州付近に達した。
高知県へは下層では太平洋高気圧からの暖かい湿った気流(湿舌)が流れ込み、上層では朝鮮半島からの乾燥空気(寒気)が流れ込んだため大気の状態が非常に不安定となった。
このため、4日午後から6日昼前にかけて県中部や東部の山間部を中心に断続的に強い雨となった。特に中部の天坪(香美市繁藤)では5日06時までの1時間に95.5mm、
07時までの1時間に95.0mmを観測、4日09時~5日09時までの24時間降水量は742mmに達した。
また、東部でも6日01時ごろから強い雨が降り、奈比賀(安芸)では03時までの1時間に90.0mm、05時までの1時間に81.0mmを観測、5日09時~6日09時までの24時間降水量は410mmに達した。
この大雨により5日10時55分に繁藤地区で大規模な山崩れ(高さ約100m、幅約200m)が発生し、死者・行方不明者60名を出す大惨事となった
概念図