新潟地方気象台の歴史

 新潟地方気象台は、前身である新潟測候所が明治14年(1881年)に開設され、創立から140年余りの歴史があります。この間、新潟市内で4回所在地を移転しています。また、国営や県営などの所属や、測候所や気象台など名称も何回か変わっています。現在は国土交通省の外局である気象庁の地方出先機関となり、名称は「新潟地方気象台」となっています。
 これまでのおもな所在地や名称については以下のとおりです。

 
  • 明治14年(1881年)4月1日
    内務省地理局所属の新潟測候所として、現在の新潟市中央区学校町通(新潟大学付属病院前付近、標高約10m)に設置。
  • 明治24年(1891年)1月1日
    新潟市旭町通(旧日本海タワー(南山配水場)付近。標高約25m)に移転。
  • 昭和 3年(1928年)1月1日
    新潟市西船見町(現在の新潟市中央区雲雀町付近北西方。標高約7m)に移転。
  • 昭和13年(1938年)7月30日
    中蒲原郡鳥屋野村字下所島(現在の新潟市中央区幸西、標高約2m)に移転。
  • 昭和24年(1949年)11月1日
    数回の名称変更を経て、新潟地方気象台と改称。
  • 平成24年(2012年)6月29日
    新潟市中央区美咲町 新潟美咲合同庁舎2号館(露場:標高約4m)に移転。

 気象台が最も長きに渡って所在した幸西は信濃川沿いにあり、昭和初期の地図によれば、すでに陸地となっていますが、庁舎の南約200mの県道(新潟・小須戸・三条線)付近が堤防だったようです。このため、昭和39年(1964年)6月16日午後1時過ぎに発生した「新潟地震」では、地盤の液状化による被害を受けました。また、地震に伴い発生した大きな津波が信濃川をさかのぼり、川沿いにあった気象台もこの津波により1mほど浸水したため、昭和40年(1965年)に庁舎の建て替えが行われました。

新潟地震前の幸西の庁舎(昭和28年撮影)
新潟地震前の幸西の庁舎(昭和28年撮影)
(北側にある信濃川沿いから)
新潟地震の津波により浸水(昭和39年6月16日)
新潟地震の津波により浸水(昭和39年6月16日)
(信濃川沿いのほぼ同じ位置から撮影したもの)

 このように、学校町通に約10年、旭町通に約37年、西船見町に約11年、幸西に約74年と数回の移転を経て、平成24年に現在地(新潟美咲合同庁舎)に移転しました。


現在の庁舎
現在の新潟地方気象台(新潟美咲合同庁舎)
(平成24年の建築)

 なお、新潟県内には相川測候所(明治44年(1911年)設立)と高田測候所(大正10年(1921年)設立)がありましたが、いずれも平成19年に廃止され、現在は特別地域気象観測所として、気温、降水量、風向風速、日照時間、積雪、湿度、気圧、視程など基本となる観測を器械によって自動的に行っています。
 このほか、戦後の一時期には小型の観測船「古志丸」を保有し、佐渡海峡での海洋観測を行っていました。また、昭和31年(1956年)から昭和53年(1978年)までは長岡には気象通報所が設置されていました。
 なお、昭和38年(1963年)からは弥彦山(多宝山)で気象レーダー観測を開始し、現在も観測を行なっています。