測候所の紹介

帯広測候所の沿革

 帯広測候所は「十勝三等測候所」として明治25年1月7日十勝の開拓に必要な気象条件を知るために、晩成社(現在の水光園あたり)の一農舎(草小屋)を借りて創立されました。1名の定員で開拓地気象調査として、1日3回(06、14、22時)の気象観測を行っていました。また、当時の所属は北海道庁内務部農商課で十勝農事試作場が開設される明治28年までは農事試験も兼務していました。

十勝三等測候所

 地震の観測も行っており、体感による発震時刻と継続時間を記録していました。

 明治26年4月には「十勝二等測候所」と改称され定員も1名増え、1日6回(02、06、10、14、18、22時)の観測となりました。

 大正4年に河西郡帯広町26番地(現庁舎のほぼ隣)に新築移転しました。

 大正7年に名称は地元市町村名を使用することとなり「帯広測候所」と改称しました。

大正4年に新築移転

 大正10年に地震計による地震観測を開始しました。

 昭和16年から終戦までは天気図の公表が禁止され、気象報道管制がしかれました。

 終戦後、気象事業が次々と整備され昭和25年に帯広測候所は指定地区予報区担当官署の位置づけになり、現在とほぼ同じ体制となりました。

初期の地震計

 昭和26年、同場所の改新庁舎に移転しました。

昭和26年に移転

 昭和61年、新庁舎(現庁舎)に移転しました。

現在の庁舎

創設130年を迎えて

 1892(明治25)年1月7日、十勝の開拓に必要な気象条件を知るため、依田勉三率いる晩成社の草小屋を借り、「十勝三等測候所」として創立した帯広測候所。
 この度、2022(令和4)年1月7日をもって創立130年を迎えました。 そこで、測候所に保存されていた歴史的資料の中で、この130年の間に起こった出来事やかつて十勝地方に存在した山岳測候所などの資料をかい摘んでご紹介します。


「創設130年を迎えて」(pdfファイル1.4MB)