南海地震の県内被害記録 徳島地方気象台

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 徳島県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域になった場合に、津波や地震動による大きな被害を受けます。 1707年の宝永地震(M8.6)や1854年の安政南海地震(M8.4)で大きな被害が生じたほか、1946年の南海地震(M8.0)でも、死者(不明者含む)202名、負傷者665名、 全壊家屋1,000以上、流出家屋500以上などの大きな被害が生じました。

 なお、記録では1605年の慶長地震以前の地震の発生間隔がいずれもおよそ200~260年と開いており空白域とされていますが、資料不足によって地震が見落とされている 可能性もあります。例えば1498年に東海地方の南海トラフ沿いで発生したとされる明応地震について、四国以西の被害記録が無く南海地震が同時に発生したかどうかは 不明とされていましたが、近年の調査によりその痕跡と思われる発見がされるなど、明応南海地震が同時期に発生した可能性も指摘されています。

発生年月日
(日本暦)

被災地域或いは
震央地名
〔地震名〕
東経 北緯 規模
(M)
被害状況等
684.11.29
(天武13)
東海・南海・西海諸道
〔白鳳地震〕
134.3 32.8 8 1/4 歴史に記録された最初の南海トラフ系の巨大地震。山崩れ河湧き、諸国の百姓倉、寺塔、神社の倒壊多く、人畜の死傷多し。
土佐の田苑約12k㎡海中に沈む。津波来襲。
阿波の被害記録なし。
887. 8.26
(仁和 3)
五畿七道
〔仁和地震〕
135.0 33.0 8.0~8.5 京都で諸司の舎屋及び民家の倒壊多く、圧死者多数。津波が沿岸を襲い、溺死者多数。
余震多く1ヶ月続いた。阿波の被害記録なし。
1099. 2.22
(康和 1)
南海道・畿内
〔康和地震〕
135.5 33.0 8.0~8.3 興福寺西金堂・塔小破、大門と回廊が倒れた。摂津天王寺回廊倒る。
土佐で田千余町(約1,000ha) みな海に沈む。
阿波の被害記録なし。
1361. 8. 3
(正平16)
畿内・土佐・阿波
〔正平地震〕
135.0 33.0 8 1/4~8.5 摂津四天王寺の金堂転倒し、5人圧死。
諸国の堂塔の破損破壊多し。津波が沿岸を襲い、摂津・阿波・土佐で被害。
由岐で津波による流出1,700戸、流死60余人。
鳴門海峡では、海水がなくなる。余震多し。
1605. 2. 3
(慶長 9)
東海・南海・西海諸道
〔慶長地震〕
138.5 33.5 7.9 津波は、犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸を襲い、各地に大きな被害。ほぼ同時に2つの地震が起きたともみられる。
震動による被害は少ない。津波地震。
阿波鞆浦で波高10丈(約30m)、死 100余人、宍喰で波高 2丈(約 6m)、死1,500余人。
1707.10.28
(宝永 4)
五畿七道
〔宝永地震〕
135.9 33.2 8.6 我が国地震史上最大級の地震の一つ。
震害と津波の被害は東海道から九州に及び、全体で死者4,900人、潰家29,000戸。
徳島では 630戸倒壊、県内で津波により全滅した村あり。 
1854.12.24
(安政 1)
畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道
〔安政南海地震〕
135.0 33.0 8.4 前日の安政東海地震の32時間後に発生した。
震害は近畿・四国が中心で、津波による被害と合わせて死者2万人、潰家2万戸と推定。
牟岐では波高3丈(9m)、家屋全滅し死者20人。
宍喰では2丈(6m)、檎では波高18尺(5.5m)、流出家屋 134戸。
小松島は1,000軒の内、倒壊、火災、津波をうけ残80戸(あるいは30戸)。
1946.12.21
(昭和21)
紀伊半島沖
〔昭和南海地震〕
135.6 33.0 8.0 東南海地震の2年後に起こった巨大地震。
近畿・四国が被害の中心となった。津波による被害も大きく、全体で死者1,330人、全壊11,591戸。
徳島県の被害は、死者(不明)202人、負傷者258人、住家流出413戸、全壊602戸、半壊914戸、床上浸水3,440戸、床下浸水1,057戸、堤防決壊40ヶ所、道路損壊21ヶ所、橋流失11ヶ所、船流出 330隻、田畑流出78町、田畑浸水1,734町、その他木材流出。 

宇佐美龍夫著:新編日本被害地震総覧より抜粋(震央地名等一部変更した)
※昭和南海地震の県内被害記録は、徳島県災異誌による


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