「天保14年七夕水」について

 徳島県は、暴れ川として知られる吉野川をはじめ、那賀川、勝浦川といった大きな河川が紀伊水道に流れ込んでおり、歴史的に水害の非常に多い地域です。

近世期の阿波国(現・徳島県)では、河川の氾濫による水害の記録が多数残されています。

ここでは、そのうちのひとつ、天保14年(1843年)旧暦7月7日(新暦8月2日)を中心とした水害について記された、

上分上山村(現・神山町)の庄屋、粟飯原庄太夫が残した古文書『勝浦川筋廻覧帳』を取り上げます。

史料は徳島の古文書を読む会(事務局・徳島県立文書館)によって読み解かれ、現代語訳されました。

この水害は、五節句のひとつ、七夕の節句に起きたことから「七夕水」と呼ばれています。

『勝浦川筋廻覧帳』は、著者・粟飯原庄太夫が「七夕水」の直後に、県内の被災地域を自らの足で巡り、現地の人々から情報を得て被害状況をまとめた記録です。

史料から、「七夕水」は、勝浦川流域、那賀川流域で大きな水害となり、徳島の城下町(現在の徳島市街)においても、各地で床上浸水や土砂崩れといった被害が多くあったことがわかります。

徳島地方気象台では、徳島県立文書館と共同で、「七夕水」について調査を行い、当時の徳島県の被害状況の座標データを作成しました。本ページで公開します。

当時の水害の実態を理解することで、今後の防災活動に活かしていただければと思います。

「天保14年七夕水」被害状況

地図上のマーカーについて

 マーカーの円が小さいほど場所の特定の精度が良いことを示しています。

円の色は、橙が浸水、紫が土砂災害、白は被害なしを示しています。赤い帯は河川堤防の決壊、青い帯は海岸堤防の決壊を示しています。

なお、一宮堤・名東堤(徳島市一宮町・名東町)については、被害がありませんが、地図上で見やすくするため、薄い赤い帯としました。

また、赤坂道(徳島市一宮町)では、「所々道端崩れ」と記述があるが、大きな被害はないため、薄い紫色の帯としました。

史料に浸水の高さや、堤防決壊の長さなど、定量的な情報も記載されている場合は、マーカーに文字情報を追加し、地図上で吹き出しとして表示させています。

文字情報内の(p○○)とは、徳島の古文書を読む会一班『史料集 天保十四卯年七月十七日 ―勝浦川筋廻覧帳―』内のどのページに記述があるかを示しています。

使用における注意事項

現地で使用する際は、住民の皆様へのご配慮のほどをお願いいたします。

出典

 国土地理院:地理院地図,https://maps.gsi.go.jp

 『「七夕水」被害状況』は、地理院地図の作図機能を用いています。

参考文献

 徳島の古文書を読む会一班(事務局 徳島県立文書館)(2021),史料集 天保十四卯年七月十七日 ―勝浦川筋廻覧帳―.

 金原祐樹(2021):【研究ノート】粟飯原庄太夫の記録に見る天保十四年の水害「七夕水」.徳島県立文書館研究紀要,8,59-72.

 徳島県、徳島地方気象台編(2017):徳島県自然災害誌.徳島県,23pp.

 家氏達郎(徳島地方気象台)、金原祐樹(徳島県立文書館)、明田川保(徳島地方気象台)(2021):徳島における「天保14年七夕水」の古文書読み解き資料を用いた歴史的風水害記録の見える化の試み.令和3年度大阪管区気象研究会誌(四国地区)