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関東地震から100年

~あの日を忘れずに、その日に備える~

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横浜地方気象台周辺に残っている震災の痕跡を巡ってみました。

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 令和5(2023)年は、関東地震が発生してから100年となります。
 この地震により神奈川県内の各地で大きな被害が発生しました。
 横浜地方気象台は、明治29(1896)年8月1日から横浜市海岸通1丁目4番地にて神奈川県測候所として業務を開始しましたが、大正12(1923)年9月1日に発生した震災のため、建物、機器類と共に観測原簿類が焼失しました。
 そのため、それまでの観測記録が残っていません。
 神奈川県測候所は、その後、同じ年の11月7日に仮庁舎を横浜市海岸通東波止場(フランス波止場)に設置し、11月12日から業務を再開し、昭和2(1927)年10月まで継続しました。
 新しい庁舎が昭和2(1927)年11月1日に現在の場所(横浜市中区山手町99番地)に復興されて業務を開始しました。
 現在でも気象台近辺を散策すると、震災で壊れた建物の一部など、痕跡があちこちに残っていますので、これらをご紹介します。
関東大震災前の神奈川県測候所(震災で焼失)
関東大震災前の神奈川県測候所(震災で焼失) 現在の横浜地方気象台
現在の横浜地方気象台

見 出 し
アメリカ海軍病院
谷戸坂の石碑
フランス山の遺構
横浜市開港記念会館
開通合名会社の煉瓦遺構
旧横浜居留地48番館
山下居留地遺跡
赤レンガ倉庫
旧横浜税関事務所
山手80番館遺跡
元町百段公園
気象台周辺の震災遺構を紹介する地図(PDF資料 530KB)


アメリカ海軍病院
 横浜地方気象台が建っている場所は、アメリカ海軍病院の跡地です。
 アメリカ海軍病院は明治42(1909)年にこの場所に建てられましたが、震災で崩れました。
 この地に、横浜地方気象台の前身となる神奈川県測候所が再建されました。
 横浜地方気象台の新庁舎を建築中に古井戸が発見されました。
 この井戸はアメリカ海軍病院で使用していたもので、その一部を切り取り、観測露場付近に移設して展示してあります。
 平日の日中であれば見学が可能です。 庁舎の公開・観測施設見学
レンガ造りの井戸の一部
アメリカ海軍病院で使用していたレンガ造りの井戸の一部
レンガ造りの井戸に設置した説明文
レンガ造りの井戸に設置した説明文

レンガ造りの井戸(新庁舎建築中に掘り起こした状態)
レンガ造りの井戸(新庁舎建築中に掘り起こした状態)
レンガ造りの井戸
レンガ造りの井戸(新庁舎の地下にあり、見学はできません。)
レンガ造りの井戸
レンガ造りの井戸(井戸の底は25m下です。)

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谷戸坂の石碑(大震災追悼碑)
 気象台の東側に谷戸坂と呼ばれている坂道があり、東側は港の見える丘公園です。
 その坂道の西側に高い擁壁がありますが、その一部がくり抜かれて震災による犠牲者を悼む石碑が建てられています。
大震災追悼碑
大震災追悼碑 大震災追悼碑
大震災追悼碑
 神奈川県横浜市中区山手町100−1

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フランス山の遺構
 気象台の東側に港の見える丘公園があり、その北側はフランス山と呼ばれています。
 そのフランス山と呼ばれる場所は、かつてフランス領事館が建っていた場所です。
 フランス山から横浜地方合同庁舎側にフランス橋がかかっていますが、その橋のたもとに「RF」と描かれた丸いレリーフが埋め込まれています。
 このレリーフは、大正12(1923)年9月1日の震災で倒壊した旧フランス領事館の外壁に取り付けられていたとのことです。
 旧フランス領事館は、昭和5(1930)年に再建されましたが、昭和22(1947)年に火災で焼失しました。
 その遺構はフランス山に保存されています。
旧フランス領事館レリーフ
旧フランス領事館レリーフ
旧フランス領事館レリーフ
旧フランス領事館レリーフ
旧フランス領事館レリーフの説明文
旧フランス領事館レリーフの説明文
再建後焼失した旧フランス領事館遺構
再建後焼失した旧フランス領事館の遺構
再建後焼失した旧フランス領事館遺構
再建後焼失した旧フランス領事館の遺構
 神奈川県横浜市中区山手町114(港の見える丘公園内)

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横浜市開港記念会館
 横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念し、横浜市民からの寄付を募り建設された記念建造物であり、大正6(1917)年6月30日に竣工し、翌7月1日に「開港記念横浜会館」として開館しましたが、大正12(1923)年の震災によって、時計塔と壁体だけを残し、内部は焼失し、屋根ドーム群も欠落したとのことです。(横浜市開港記念会館ホームページから一部引用)
横浜市開港記念会館
横浜市開港記念会館
 神奈川県横浜市中区本町1丁目6
横浜市開港記念会館ホームページへ(別窓で開きます)

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開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構
 県庁の近くを歩いていると目に入ってくる煉瓦の壁です。
 この遺構に設置されている説明文によると、明治時代に建てたと推定されている「開通合名会社」の社屋が震災で倒壊したものの一部が奇跡的に残ったとのことです。
開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構
開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構 開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構の説明文
開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構の説明文

 神奈川県横浜市中区北仲通1丁目6

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旧横浜居留地48番館
 この建物は設置されている説明文によると、明治16年に建てたと言われていて二階部分が震災で損壊し、復興事業で西側部分が除去されたましたが、補修が繰り返され現在に至っているとのことです。
旧横浜居留地48番館
旧横浜居留地48番館
旧横浜居留地48番館
旧横浜居留地48番館 旧横浜居留地48番館
旧横浜居留地48番館 旧横浜居留地48番館の説明文
旧横浜居留地48番館の説明文

 神奈川県横浜市中区山下町54

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山下居留地遺跡
 横浜山下地区市街地再開発事業における神奈川芸術劇場・NHK横浜放送会館建築工事に伴う発掘調査で、横浜外国人居留地に関する遺跡が地表から1m下で発見されたそうです。
 神奈川芸術劇場の南東側の壁には明治・大正時代にかけての資料・出土品が展示してあり、関東地震で倒壊した外国商館の建築物に関しても紹介しています。
山下居留地遺跡
山下居留地遺跡 山下居留地遺跡
山下居留地遺跡 山下居留地遺跡
山下居留地遺跡 山下居留地遺跡の説明文
山下居留地遺跡の説明文

 神奈川県横浜市中区山下町25

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赤レンガ倉庫
 新港地区に観光スポットとして有名な赤レンガ倉庫があります。
 1号館は地震で半壊し現在の大きさに縮小されたそうです。
赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫 赤レンガ倉庫1号館
赤レンガ倉庫1号館(地震で半壊し現在の大きさとなる)

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旧横浜税関事務所
 赤レンガ倉庫2号館のすぐ北側に旧税関事務所の遺構があります。
 この建物も震災でで焼失し、赤レンガパーク整備工事時に発見されました。
旧税関事務所(右突堤中央事務所)
旧横浜税関事務所(右突堤中央事務所) 旧税関事務所(右突堤中央事務所)
旧横浜税関事務所(右突堤中央事務所) 旧税関事務所(右突堤中央事務所)
旧横浜税関事務所(右突堤中央事務所)
  神奈川県横浜市中区新港1丁目1−1

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山手80番館遺跡
 気象台の西側に元町公園があります。
 この公園の南西側に山手80番館遺跡があります。
 この遺跡に設置されている説明文によると、震災当時にマクガワン夫妻の住居で、現在見学できる部分は地下室だったとのことです。
山手80番館遺跡
山手80番館遺跡 山手80番館遺跡
山手80番館遺跡 山手80番館遺跡の説明文
山手80番館遺跡の説明文
山手80番館遺跡
説明文の左右には発掘されたタイルの複製品が埋め込まれています。
 神奈川県横浜市中区元町1丁目(元町公園内)

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元町百段公園
 横浜の街を一望できるこの場所には、かつて浅間神社があり、元町からまっすぐに伸びる101段の階段がありましたが、震災で崩れてしまったそうです。
 この公園は、今はなき「百段」の歴史をとどめるために造られたとのことです。
元町百段公園
元町百段公園 かつての元町百段
かつての元町百段
元町百段公園の説明文
元町百段公園の説明文
元町百段公園
元町百段公園
 神奈川県横浜市中区山手町56−1
元町商店街側から見上げた百段公園
元町商店街側から見上げた百段公園

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