幕末当時の背景として、伊豆の下田とならび海外への窓口となった開港場「箱館」(明治2年(1869年)以降は「函館」)には、外国人が渡来し
在留するようになり、自身の必要性から、不統一ながらも気象観測が実施されていました。
記録によると、ロシア人の医学者アルブレヒトは、安政6年(1859年)から2年間、箱館付近の自宅で気象の観測を行い、万延元年(1860年)には
雨と雪日数を観測していました。
また、ブラキストンライン(津軽海峡を境とした北海道と本州の動植物境界線)を発見したほか、いくつかの科学的業績を残したイギリス人実業家
ブラキストンは、元治元年(1864年)から明治4年(1871年)までの8年間、降雨雪日数を観測し、慶応4年(1868年)からは気圧や気温の観測を
行っていました。
開拓使函館支庁の福士成豊(ふくしなりとよ)はブラキストンの観測を引き継ぎ、船場町(現在の函館市末広町)にあった自宅に観測機器を設置して
これを「函館気候測量所」とし、明治5年(1872年)8月26日から観測を開始しました。
これが我が国の気象観測所における気象観測の始まりです。
日本における気象観測開始の古い順位
北海道における気象観測開始の古い順位