南海トラフ地震について

南海トラフを震源とする地震

南海トラフは、日本列島が位置する大陸のプレートの下に、海洋プレートのフィリピン海プレートが 南側から年間数cm割合で沈み込んでいる場所です。この沈み込みに伴い、2つのプレートの境界にはひずみが蓄積されています。

過去1400年間を見ると、南海トラフでは約100~200年の間隔で蓄積されたひずみを解放する大地震が発生しており、 近年では、昭和東南海地震(1944年)、昭和南海地震(1946年)がこれに当たります。

昭和東南海地震及び昭和南海地震が起きてから70年以上が経過しており、南海トラフにおける次の大地震発生の可能性が高まってきています。

南海トラフ沿いで過去に発生した地震

南海トラフ地震が発生した場合の高知県での被害について

最大クラスの南海トラフ地震(マグニチュード9.0)が発生した場合、県内のほとんどで震度6弱~7の強い揺れが予想されています。
また、津波についてもすべての沿岸市町村で10m以上が想定されており、土佐清水市と黒潮町は全国最大の34mの津波が予想されています。

想定されている揺れの強さ
(高知県防災啓発冊子「南海トラフ地震に備えちょき」より)

想定されている津波の高さ
(高知県防災啓発冊子「南海トラフ地震に備えちょき」より)


過去に発生した南海トラフ地震について

宝永地震(1707年10月28日、M8.6)について

宝永地震は1707年10月28日の午後2時頃、遠州灘から四国までの沖合を震源域とし、 過去に南海トラフ沿いで発生した中でも最大級の地震となっています。この地震は陸のプレートとフィリピン海プレートの境界で発生しました。 この地震により県内の広い範囲で震度5~7の強い揺れを観測※1したと推定されています。 また津波についても県内の広い範囲で4~8mの津波が押し寄せたと推定されています。

高知県内では主として津波により、死者1,844人、行方不明926人、家屋全壊5,608棟、 家屋流失11,167棟などの被害が生じました(「日本被害地震総覧」による)。

※1主な地域の震度
 崎浜(6)、室津(7)、安芸(6)、高知(6-7)、佐川(5-6)、須崎(6)、窪川(6)、中村(6)、宿毛(6)、宿毛大島(7)

震度分布図(宝永地震)

震度分布図
(「日本の地震活動」より)

津波の高さ(宝永地震)

津波の高さ
(「日本の地震活動」より)



昭和南海地震(1946年12月21日、M8.0)について

昭和南海地震は1946年12月21日の午前4時19分過ぎ、和歌山県南方沖を震源として発生しました。 この地震は陸のプレートとフィリピン海プレートの境界で発生しました。この地震により県内の広い範囲で震度5の強い揺れを観測しました。 また津波についても県内の広い範囲で3~6mに達しました。

高知県内では主として津波により、死者・行方不明者679人、負傷者1,836人、家屋全壊4,834棟、 家屋流失566棟などの被害が生じました(「日本被害地震総覧」による)。

震度分布図(昭和南海地震)

震度分布図

津波の高さ(昭和南海地震)

津波の高さ
(「日本の地震活動」より)



ハイタカ(西+早に鳥)神社について

ハイタカ神社は宿毛市大島地区にあり、境内に登る階段の脇に宝永地震、安政南海地震により津波が到達したことを示す石碑があります。 いずれも地元の古文書に記載されていた内容から津波到達点として設置されたものです。

神社は今も津波の避難場所になっており、地元の人たちにとっては避難の目安であると同時に、津波の高さが実感できる場所になっています。 地元の古文書の記録より石碑を設置することにより、記録(記憶)を風化させずに地域の避難の目印にするという考え方は 津波防災の上で非常に重要です。


(左図)
ハイタカ神社の石段と石碑、赤枠は宝永地震、黄枠は安政南海地震の石碑

(右図)
 宝永地震の石碑

 写真は気象台職員撮影

ハイタカ神社と石碑

南海トラフ地震臨時情報について

「南海トラフ地震に関連する情報」は、南海トラフ全域を対象に地震発生の可能性の高まりについてお知らせするものです。

南海トラフ沿いで異常な現象が観測され、その現象が南海トラフ沿いの大規模な地震と関連するかどうか調査を開始した場合、 その調査結果を発表する場合に「南海トラフ地震臨時情報」が発表されます。

その際、情報名の後にキーワードを付記して「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)」などの形で情報発表します。

「南海トラフ地震臨時情報」が発表された際には、お住いの市町村からの指示により事前避難等の対応を行う必要があります。

南海トラフ地震臨時情報

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