昭和61年(1986年)伊豆大島噴火40年 特設サイト

令和8年(2026年)10月公開
東京管区気象台作成


昭和61年伊豆大島噴火40年

1986年11月の伊豆大島噴火を振り返るとともに、火山防災のための知識ととるべき行動についてまとめました。


目次



はじめに

今から40年前、1986年11月、伊豆大島が噴火しました。


11月15日、三原山山頂のA火口で噴火が始まりました。


11月19日、火口は溶岩であふれ、火口から溶岩が流れ出しました。


その後、活動が収まったかに思われた矢先、


11月21日、A火口から約500メートル離れたB火口列から割れ目噴火が発生、


それでも溶岩はカルデラ内におさまっていましたが、


1時間半後にはカルデラの外側にさらにC火口列ができ、割れ目噴火が発生、
溶岩は多くの人々が暮らす元町地区に向かって流れ始めました。


溶岩は元町地区に迫り、島内のどこにさらに新たな火口ができるか、予断を許さない中、
大島町は21日夜、全島民に島外避難指示を出しました。


島外避難は約1か月に及びました。


幸い人的被害はありませんでしたが、溶岩流、火山灰、地震による施設被害や、
長期間の避難に伴い、農産業、商工業、観光業などに大きな被害がありました。

昭和61年伊豆大島噴火40年

11月19日、A火口からの噴火と火口から流れ出す溶岩

伊豆大島全図

昭和61年(1986年)伊豆大島噴火の火口とカルデラ
川辺禎久(2024)に加筆
国土地理院0.5m赤色立体地図、地理院地図(電子国土Web)を利用

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噴火の推移

1. 噴火まで(~11月15日)

 噴火が始まる4か月前の7月初めから、火山性微動が観測され始めました。微動が本格的に現れたのは12年ぶりのことでした。

 微動ははじめ数時間おきに発生していましたが、次第に規則性は乱れ、振幅は大きくなっていきました。

 微動は10月24日に一旦おさまりましたが、10月27日から再び始まり、振幅はさらに大きくなっていきました。

 一方、体に感じる地震は少ないままでした。

 11月15日の噴火の数日前から、火口内で、これまで見られなかった噴気が見られるようになりました。

11.15火口内噴気

11月15日午前に見られた火口内の噴気


2. A火口からの噴火(11月15日~)

 11月15日17時25分、A火口から噴火が始まりました。噴火地点は噴気が見られた場所とほぼ同じでした。

 16日も、溶岩が噴水のように吹き上がる噴火が続き、火口は次第に溶岩で満たされていきました。また、爆発が強まったためか、島内のみならず、関東各地で住民から窓等がガタガタするという連絡が各地の気象台に寄せられるようになりました。

 体に感じる地震は、噴火後も少ない状態が続いていましたが、16日の朝から次第に増加し、夕方に1時間に10回ほど起こるようになりました。

 17日も同様の噴火が続き、地震も多発しました。

 18日の朝までに火口は溶岩でほぼ一杯になりました。噴火は続きましたが、地震は夕方から減り始めました。

 19日10時35分、溶岩が火口からあふれ出し、火口の外に溶岩が流れ出ていきました。溶岩は火口から1kmほど流れ出ました。

11.16,A火口からの噴火
11月16日、A火口からの噴火
(白尾元理氏撮影、東京都(1988))
11.16,A火口からの噴火
11月16日、A火口からの噴火
11.17,A火口からの噴火
11月17日、A火口からの噴火
(大島治氏撮影)
11.19,A火口からの噴火と溶岩流
11月19日、A火口からの噴火と溶岩流
(白尾元理氏撮影、東京都(1988))

3. 小康状態(11月19~20日)

 19日夜、微動は急速に弱まり、噴火も衰えていきました。地震も19日の朝から減りました。

 20日は、時折爆発があったものの、噴火は弱まりました。

 そんな中、21日14時17分の地震を皮切りに、再び地震が急増し始めたのです。

4. B火口列、C火口列からの噴火(11月21日~)

 地震が急増する中、16時15分、A火口から500mほど離れた地点に新たな火口ができ、噴火が発生しました。

 火口は直線状に広がり、北西~南東方向に火口が連なる割れ目噴火となっていきました(B火口列)。

 B火口列では8つの火口から溶岩を噴水のように噴き上げる噴火を続け、北と北東に向かって溶岩が流れていきました。

 噴煙は高度16,000mに達し、風によって流されたスコリア・火山灰が島の東部に降り積り、島の東部を走る循環道路では厚さ20㎝以上に達しました。

1121_B火口列割れ目噴火開始
11月21日、B火口列からの噴火
(阿部勝征氏撮影、東京都(1988))
1121_B火口列噴火_海保ヘリから撮影
11月21日、B火口列からの噴火
(海上保安庁ヘリから撮影)
1121_B火口列割れ目噴火
11月21日、B火口列からの噴火
(阿部勝征氏撮影、東京都(1988))

噴出物分布図
降下した噴石の厚さ(単位mm)(曽屋他(1987))
1121_B火口列噴火噴煙
11月21日、B火口列からの噴火
(阿部勝征氏撮影、東京都(1988))

 地震も多発する中、さらに17時46分には、B火口列の延長線上、カルデラの外の北西斜面で新たな割れ目噴火が始まり(C火口列)11の火口から溶岩が噴き出しました。

 溶岩は谷沿いに元町に向かって流れ下り、町はずれにある元町火葬場から70mの地点にまで達しました。

A,B,C火口と溶岩流範囲
A火口,B,C火口列とそれぞれから流れ出た溶岩の範囲
曽屋他(1987)に加筆






1121_C火口噴火
11月21日、C火口列からの噴火

 大島町は22時50分、全島民に対して島外避難命令を出し、22日昼過ぎまでに、約1万1,000人の島民と、2,000人の観光客が無事に熱海、下田、伊東、稲取、東京に到着しました。島民はその後約1ヶ月にわたり島外での避難生活を強いられました。

 21日夜半から22日未明にかけてA火口、C火口列での噴火はおさまり、B火口列での噴火も23日までにはおさまりました。

 22日9時41分には、一連の地震活動の中で最大規模のM6.0の地震が伊豆大島の南東沖で発生し、大島測候所では震度4を観測しました。

時間別有感地震回数

5. 帰島と12月18日の噴火

 火山性微動が11月25日から観測されなくなるなど、火山活動がおさまりつつある中、最初の噴火から約1か月後の12月12日、東京都災害対策本部は、12月19日から22日の間の全員帰島を決定しました。

 その矢先、12月17日9時15分から火山性微動が再発、その後振幅は大きくなり、12月18日17時47分にA火口で噴火を再開しました。

 しかしこの活動も21時過ぎには終了し、火山性微動もその後落ち着いていきました。全員帰島は予定通り実施され、22日、全面帰島が完了しました。

6. 噴火活動終息(1990年)まで

 1986年の噴火から1年後の1987年11月16日、山頂で爆発が起こり、火口を満たしていた溶岩の破片が周辺に飛散り、火口は約30m陥没しました。

 11月18日にも噴火し、陥没により、直径350~400m、深さ約150mの竪穴状の火口が再現しました。

 その後、1988年1月25、27日、1990年10月4日にも小さな噴火がありました。

7. 噴火活動終息(1990年)~現在

 1990年の小さな噴火後、これまでに伊豆大島で噴火は発生していませんが(2026年9月現在)、時々、地震活動の活発化や噴気が見られています。また、地下深いところにマグマは徐々に蓄積されてきており、今後の噴火の準備は着実に進んでいます。

GNSS差木地奥山、津倍付

島の中央を横断する2つのGNSS観測点(差木地奥山、津倍付)の間の距離の時間変化。距離の伸びは、地下にマグマが供給されて島全体が膨張していることを表している。2018年頃からはあまり変化がないが、これまでに供給されたマグマにより、今後火山活動が活発化する可能性がある。

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気象台のとった対応

・火山情報の発表

 大島測候所は、7月に火山性微動が現れて以降、たびたび火山情報を発表して地震や微動の状況を説明し、注意を呼びかけました。当時は噴火警報はまだ運用されておらず、注意喚起を行う臨時火山情報、より危険な状況であることを伝える火山活動情報、定期火山情報が運用されていました(◎火山業務の沿革の項を参照)。11月15日の噴火後、1986年末まで、臨時火山情報を37回、火山活動情報を11回発表して注意を呼びかけました。

 なお、大島測候所は、溶岩流が迫る中、被災するおそれが高まったことから、18時5分、新たな噴火が発生し溶岩流が元町へ行く恐れがあるとの内容の火山活動情報を発表して、職員は撤退しました。そのため、11月21日から12月17日までは臨時の措置として気象庁本庁が火山情報を発表しました。

・ヘリコプターによる観測

 11月21日にB火口列からの噴火が始まったとき、気象庁職員はちょうど海上保安庁のヘリコプターで調査中だったため、噴煙が出始めてから、B火口列が形成されて割れ目噴火に発達していく経過を上空から詳細に観測することができました。ヘリコプターは17時13分大島を離れました。

11月21日、海上保安庁ヘリから撮影したB火口列からの噴火(写真をクリックで拡大)



・火山噴火予知連絡会

 火山噴火予知連絡会は、文部省(当時)の審議会の建議により1974年に設置された、学識経験者及び関係機関の専門家から成る組織で、火山現象についての総合的判断を行うこと等を目的とし、気象庁が事務局を務めていました。

 1986年の伊豆大島噴火においても、火山噴火予知連絡会は頻繁に会合を開催し、その結果は統一見解やコメントとして公表され、火山活動に対する防災対応や住民の帰島の判断などに寄与しました。

 2024年4月、活動火山対策特別措置法の一部を改正する法律が施行され、文部科学省に「火山調査研究推進本部」が発足し、また、気象庁の「火山情報アドバイザリー会議」が発足したことに伴い、火山噴火予知連絡会はその役割を終え、50年の歴史に幕を閉じました。

・大島測候所

 昭和61年(1986年)伊豆大島噴火が発生した当時、伊豆大島には大島測候所がありました。大島測候所には19名の職員が勤務しており、地震火山の他、気象観測や予報、潮汐観測、通信などの業務を行っていました。

 昭和61年(1986年)伊豆大島噴火に際しては、特に、地震活動が活発化してB、C火口列から噴火が始まった21日は、頻発する地震や火山噴火の観測等で多忙を極めました。

 そんな中、C火口列からの溶岩流は大島測候所から1~2kmに迫り、また、測候所はC火口列の延長上に位置しており、測候所の近くが新たな火口となる危険性もあったことから、東京管区気象台長の命令により、21日18時15分に測候所は閉鎖し、18時30分には職員全員が退避して、測候所の業務は気象庁本庁で代行することとなりました。

 22日未明には気象庁本庁の職員が来島し、8時30分に一部の業務を再開しました。ただし測候所は噴火で被災する危険性があったため、東京都大島支庁の庁舎で業務を継続しました。その後、元町地区にあるカトリック大島教会の敷地を無償で貸与を受け、12月17日には大島測候所元町基地として業務を開始しました。

 火山活動がおさまりつつある中、順次測候所での業務へ移行し、1987年5月、測候所での業務は全面的に再開されました。


 大島測候所は2009年10月に無人化され、気象観測は大島特別地域気象観測所で継続するとともに、火山業務の一部は伊豆大島火山防災連絡事務所に引き継がれ(2012年4月~)、気象庁職員2名が常駐しています。

大島測候所

大島測候所

大島測候所元町基地

大島測候所元町基地


新旧観測網

昭和61年(1986年)伊豆大島噴火時の大島測候所と気象庁火山観測網(左)、現在の観測網(他機関を含む)(右)

(画像をクリックで拡大)



・各地で観測された伊豆大島噴火

 1986年11月21日の伊豆大島の噴火に伴い、関東地方の広い範囲にわたって、障子やガラス戸などがガタガタ揺れた(空振)、爆発音が聞こえた(音響)、火山灰が降った(降灰)、などの現象が観測され、各地の気象台には多数の問い合わせがありました。

 特に空振は、関東一円~三宅島あたりまでの広い範囲に及び、中でも神奈川県湘南地方、南房総地方で大きかったとみられます。

 また、熊谷地方気象台には特に問い合わせは寄せられなかった一方、宇都宮地方気象台では非常に多くの問い合わせがあるなど、その分布にはばらつきが見られました。

各地で観測された伊豆大島噴火

各地で観測された伊豆大島噴火。地名は当時の気象台、測候所。
気象台、測候所で観測されたほか、空振などの問合せが多く寄せられた。
地図は地理院地図(電子国土Web)を利用。



 伊豆大島の噴火による噴煙や火柱は島外からもはっきりと見ることができました。下の写真(左)は対岸の伊豆半島の東伊豆町から撮影したものです。また、伊豆大島から100km近く離れた富士山頂には当時富士山測候所があり、下の図(右)は、富士山測候所職員が伊豆大島噴火の噴煙や火柱をスケッチしたものです。

東伊豆町から
東伊豆町から撮影した11月21日の噴火
(東伊豆町消防本部提供)
富士山測候所から見た噴火
富士山測候所職員による11月21日の噴火のスケッチ
(画像をクリックで拡大)

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伊豆大島の過去の噴火

 伊豆大島は1986年の噴火以前にも、噴火を繰り返してきました。

 約1700~1500年前の大規模噴火でカルデラが形成されてからは、大規模な噴火をほぼ100~150年間隔で繰り返してきたと考えられています。最近の大規模な噴火は、安永の大噴火と呼ばれており、1777~1792年に発生しました。

 その後も中規模な噴火を数10年程度おきに繰り返しており、1986年はそうした中規模噴火のひとつです。

 これらの噴火のいくつかについて、噴火の規模を噴出物の量で比較したものが表と図で示します。過去には、1986年よりもはるかに規模の大きい噴火が何度も発生しています。

年噴出量(DREkm3)
13380.03
14210.23
15520.16
1684-900.12
1777-920.20
1950-510.024
19860.029

DRE(Dense Rock Equivalent)は、噴火による総噴出物をマグマの容積に換算したもの。

過去の噴火規模

過去の噴火の噴出物量の比較


 これらの噴火では、海岸まで達する大量の溶岩が流出しました。下図は、それぞれの噴火で流出した溶岩の痕跡とされる範囲を示しています。伊豆大島では今後、1986年の噴火よりもはるかに規模の大きい噴火が発生する可能性もあるのです。

過去の噴火で流れ出た溶岩

過去の噴火で流れ出た溶岩
(火山土地条件図(伊豆大島)(令和6年3月1日国土地理院)に加筆)

 また、過去の噴火では、溶岩だけでなく、大量の噴石も島内に広く飛散しています。

 伊豆大島には過去の火山活動で形成された地形も数多く残されています。

 例えば、伊豆大島南部にある波浮港は、9世紀中頃の噴火で発生した爆発的な噴火により島の一部が吹き飛ばされて大きなくぼ地ができ、そこに水がたまって池になった後、1703年(元禄16)の元禄地震の津波で池が海とつながった地形を利用して作られたものです。

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現在の伊豆大島

伊豆大島の現在の火山活動状況です。

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火山業務の沿革


②火山情報の変遷

年月日内容
1965(昭和40)年1月1日火山情報の発表を開始。火山情報(定期)及び火山情報(臨時)
1978(昭和53)年12月20日火山活動情報、臨時火山情報、定期火山情報の3種類の火山情報の発表を開始
1993(平成5)年5月11日緊急火山情報、臨時火山情報、火山観測情報、定期火山情報の4種類の火山情報の発表を開始
2002(平成14)年3月1日定期火山情報を廃止し、火山活動解説資料の発表を開始
2003(平成15)年11月4日火山活動度レベルの運用を開始
2007(平成19)年12月1日気象業務法が改正・施行され、噴火警報・予報、噴火警戒レベルの運用、火山の状況に関する解説情報の発表を開始。火山活動度レベル、緊急火山情報、臨時火山情報、火山観測情報は廃止
2008(平成20)年3月31日降灰予報及び火山ガス予報の業務を開始
2015(平成27)年3月24日降灰量の予測を含めた新しい降灰予報(量的降灰予報)の提供を開始(3/24~降灰予報(定時)、4/23~降灰予報(速報)及び降灰予報(詳細))
2015(平成27)年5月18日火山の状況に関する解説情報(臨時)の発表を開始。噴火警戒レベル1のキーワードを「平常」から「活火山であることに留意」に変更
2015(平成27)年8月4日噴火速報の運用を開始
2016(平成28)年3月25日噴火警戒レベルの判定基準の公表を開始
2021(令和3)年6月29日噴火した火口の位置に関わらず降灰予報を提供できるよう降灰予報の運用を改善
2021(令和3)年12月16日噴火警戒レベル4のキーワードを「避難準備」から「高齢者等避難」に変更



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火山災害への備え

火山災害を知ろう!

火山災害の種類

(Yahoo!ニュース制作図解:商用利用不可・図解を分割編集しての使用不可)

噴火警戒レベル

噴火警戒レベル

(Yahoo!ニュース制作図解:商用利用不可・図解を分割編集しての使用不可)

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参考資料・出典

  • 大島測候所(2009): 大島測候所のあゆみ 71年間の足跡
  • 海上保安庁水路部(1987):昭和61年(1986年)伊豆大島噴火と対応、水路部研究報告第23号
  • 川辺禎久(2024):伊豆大島火山の火口位置データおよび噴火イベント集、地質調査総合センター研究資料集、no.749
  • 気象庁地震火山部(1987):災害時火山現象調査報告 昭和61年(1986年)伊豆大島噴火
  • 気象庁地震火山部(2013):活火山総覧第4版
  • 建設省関東地方建設局(1987):三原山噴火関連伊豆大島官庁施設調査報告書
  • 下鶴大輔、火山防災用語研究会(2003):火山に強くなる本、山と渓谷社
  • 曽屋他(1987):伊豆大島火山1986年の噴火の経過と噴出物、地質調査所月報、第38巻第11号,p609-630
  • 東京管区気象台(1987): 昭和61年(1986年)伊豆大島 噴火の記録
  • 東京消防庁(1987):昭和61年(1986年)伊豆大島噴火災害支援活動概況
  • 東京都(1988):昭和61年(1986年)伊豆大島噴火災害活動誌

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関連リンク