昭和57(1982)年の九州北部地方の梅雨は過去に例のないほど極端な変化を伴って推移した。
6月13日頃に梅雨入りしたが5月に続いて雨の降る日が少なく、6月の月降水量は 佐賀、福岡、下関などで少雨記録を更新し、長崎、熊本も平年に比べて月降水量は少なかった。
この少雨傾向は7月上旬まで続いたが10日になって梅雨前線が次第に九州付近まで北上し、11日は一転して大雨が降り、その後25日まで曇りや雨の日が続いた。
とくに、23日午後から降り出した長崎市付近の大雨では局地的に1時間100mmを超える猛烈な雨が3時間以上にわたって降り続いた。
長崎県長与町役場では23日19時から20時までの1時間に187mmの猛烈な雨を観測した。23日の長崎での最大1時間降水量、最大3時間降水量は昭和32年(1957年)諫早豪雨に匹敵するものであった。
この大雨で長崎市を中心に死者・行方不明299名の人的被害を含む大きな災害が発生し、都市型災害の始まりとも言われた。
その後、24日から25日にかけて大雨の中心は熊本県や大分県に移動し、ここでも大きな災害が発生した。
これを受けて気象庁は、7月23日から25日までの大雨を「昭和57年7月豪雨」と命名した。
この災害では死者・行方不明者が長崎市付近に集中したが、このことが住民の避難誘導に関する防災システムや予・警報、気象情報の伝達などに係わる重要な検討課題を浮き彫りにし、
大きな改善が進められる契機となった。
現在、気象庁が発表している「記録的短時間大雨情報」(解説 気象庁)は、この長崎大水害がきっかけとなった。
昭和57年7月豪雨(長崎大水害) 【あの夏の雨から40年・65年】
>概況
>7月23日の概況
>大雨の特徴
>災害の特徴
>天気図
>被害状況
>警戒状況
>気象資料等
>「長崎市の気象状況」
>「近年の気象災害」
>「観測体制の変遷」
概況
7月23日の概況
7月23日
黄海南西部の低気圧の東進に伴って九州南海上まで南下していた梅雨前線が北上し、九州地方は早朝から雨となった。
09時には、黄海南部の低気圧がやや発達して低気圧の前面にあたる対馬海峡から九州地方には南寄りの風で著しく暖湿な空気が入り、九州北部にある梅雨前線の活動活発となってきた。
12時になると前線上の済州島のすぐ東海上に小低気圧(擾乱)が発生し、15時には平戸の北西海上に近づいた。このため、13時30分には、対馬海峡に高さ10㎞以上の積雲系の雨雲が現れ、
15時にはこの雨雲の高さは12.5㎞に達した。
対馬の厳原では、14時から15時までの1時間に64㎜の強雨が降った。これらの厚い雨雲は南南東に進み17時には九州北西岸にかかり、
18時には小低気圧も平戸付近に達した。このころから長崎県を中心とした九州北西部では激しい雨が降り、中でも16時から17時までの1時間に平戸84㎜、17時から18時までの1時間に長崎県の松浦で89㎜、
佐賀県の和多田で63㎜を記録した。
長崎県北部を中心とした強雨域はゆっくり南下し18時から19時の1時間に長崎県の長浦岳では153㎜という記録的な大雨が降った。23日21時の地上天気図をみると、済州島付近の低気圧から
九州中部に延びる前線に沿って大雨が降ったことになる。
20時には大村湾付近に高さ16㎞に達する厚い雨雲があり、長浦岳では18時から1時間100㎜以上の激しい雨が2時間、長崎市では100㎜前後の雨が
19時から3時間続いた。24日0時になると強雨域は島原半島と天草方面に移り、多い所では1時間30ないし60㎜の強雨が降ったが長崎市付近の雨は一時小降りとなった。
(福岡管区気象台 災害時気象調査報告 昭和57年8月21日発行 より抜粋)
大雨の特徴
ア.華中から東シナ海を経て九州地方には著しく高温で湿潤な空気が流れ込み、梅雨前線の活動を強めて、いわゆる梅雨末期の大雨となった。
総降水量は長崎県と熊本県の九州中部が最も多かった。
イ.7月23日の午後から夜にかけて長崎県を中心に降った大雨は、大規模な低気圧の前方の前線上に発生した小低気圧の通過による著しい暖湿空気の流入と、中層の気圧の谷により成層不安定となり、活発な対流活動が起こったためである。
大雨は地形的な影響も加わって長崎市を中心とした地域に集中し、187㎜という日本における1時間降水量の記録を更新するなど1時間100㎜前後の大雨が長崎市周辺で3時間も続いて降った。
この大雨の直前に(23日15時)九州北部に50ノット以上の下層ジェットが現れた点が、昭和32年7月25日の諫早豪雨の時と異なるが降雨機構はよく似ている。
エ.梅雨前線の活動により7月中旬に熊本県や長崎県では500ないし800㎜、所によって1000㎜を越す大雨が降り地盤が緩んで居る所へ今回の大雨となった。特に傾斜地の多い長崎市付近で、
3時間に300㎜を越す激しい雨が降り、又満潮時とも重なったため未曽有の大きな被害となった。
(福岡管区気象台 災害時気象調査報告 昭和57年8月21日発行 より抜粋)
災害の特徴
ア.7月中旬から降り続いた雨で各地とも飽和状態になっていたところへ、短時間に記録的な豪雨が降ったため、河川の氾濫はもとより、山・がけ崩れが多発した
イ.被害のほとんどが、山・がけ崩れに伴うものだった
ウ.災害の範囲は九州各県に及んだ
エ.大災害が集中した長崎県は災害の発生が、夕方から夜半にかけて急激に起こり、避難する余裕も無かったため更に被害を大きくした
(福岡管区気象台 災害時気象調査報告 昭和57年8月21日発行 より抜粋)
天気図
被害状況
区 分 | ||
---|---|---|
死 者 | 294人 | 257人 |
行方不明 | 5人 | 5人 |
重傷者 | 16人 | 13人 |
軽傷者 | 789人 | 741人 |
計 | 1,104人 | 1,016人 |
区 分 | 長崎県 | 長崎市 |
---|---|---|
全 壊 | 447棟 | |
半 壊 | 954棟 | 746棟 |
一部破損 | 1,111棟 | 335棟 |
床上浸水 | 17,909棟 | 14,704棟 |
床下浸水 | 19,197棟 | 8,642棟 |
警戒状況
当時、これらの情報はすべて関係防災・報道機関に同時送話装置で伝達され、電信電話公社(現NTT)の電話サービス(177)にも吹き込まれた。
また、災害が大きくなり始めていた23日の18時30分から24日19時までと、25日深夜から早朝までの間、テレビ・ラジオ等で長崎海洋気象台職員による気象状況の解説が放送された。
各放送局(NHK、NBC、KTN)では23日夜から、24日早朝にかけて通常番組終了後も、放送時間を延長して終夜テレビ・ラジオ等で大雨状況や災害に関する報道を行った。
長崎海洋気象台(現 長崎地方気象台)における注意報・警報および情報の発表状況(7月23日~7月25日)
種類 | 発表時刻 | 種類 | 発表時刻 |
---|---|---|---|
波浪注意報 | 23日13時50分 | 大雨情報第11号 | 24日09時25分 |
大雨・洪水・強風・雷雨・波浪注意報 | 23日15時25分 | 大雨情報第12号 | 24日11時10分 |
大雨・洪水警報、強風・雷雨・波浪注意報 | 23日16時50分 | 大雨情報第13号 | 24日12時20分 |
大雨情報第1号 | 23日20時40分 | 大雨情報第14号 | 24日16時45分 |
大雨情報第2号 | 23日22時20分 | 大雨・洪水警報、雷雨・波浪注意報 | 24日17時20分 |
大雨情報第3号 | 23日23時35分 | 大雨情報第15号 | 24日19時40分 |
大雨情報第4号 | 24日00時25分 | 大雨情報第16号 | 24日22時10分 |
大雨情報第5号 | 24日01時30分 | 大雨情報第17号 | 25日00時00分 |
大雨情報第6号 | 24日02時30分 | 大雨情報第18号 | 25日01時30分 |
大雨情報第7号 | 24日03時25分 | 大雨情報第19号 | 25日03時40分 |
大雨情報第8号 | 24日04時30分 | 大雨情報第20号 | 25日05時45分 |
大雨情報第9号 | 24日05時15分 | 波浪注意報 | 25日11時40分 |
大雨情報第10号 | 24日08時25分 | 解除 | 25日06時25分 |
気象資料等
昭和57年 夏の概況 | 先行雨量分布 | 毎時雨量時系列 |
19時 | 20時 | 21時 |
7月23日09時から24日09時まで | 7月24日09時から25日09時まで |
自記紙の解説 | 長崎海洋気象台日原簿 |