海南町 天神社石碑

安政南海地震

所在地:海南町浅川 天神社境内(現:海陽町浅川)

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天神社 安政の津波碑

平成6年11月再建

天神社全景

天神社旧碑

慶応3年建立

再建碑 碑文

安政の津波碑文

 干時安政元年寅年(一八五四)十一月四日辰刻(午前七時~九時頃)地震暫くゆり、 巳刻比(午前九時~十一時頃)汐狂ひ往還へ溢れ人々驚山上へ荷物をはこび逃登りあわてあへり。 夫より心をくはり其夜を明かす。 翌五日晴天風雲なく日輪朧の如く暖なる事三月頃の如くなれは審敷思ひ山上へ荷物を持上るもあり、 又は前日の変で事済しと思ひまちまちなる折から申ノ刻比(午後三時~五時頃)大地震暫有て終後大海より高さ三丈計の大汐さし込、其の早き事矢を射るが如し。 浦上カラウト坂麓迄いせた戸や山の神関迄上り、其夜汐さし込事幾度ともしれす。 天満宮、大年、御崎三社、並に浦三ヶ寺相残り、其余在家流失、村分西ノ奥、東谷人家悉流失なれ共、用心せし故村中怪我人なし、永正慶長に両度あり。 又宝永四亥(一七〇七)十月四日稲観音堂石像地像に記あり。 宝永度迄百年前後なれとも、こたびは百四十八年目なり、依テ後年寒暖時候に背き大地震ゆる時は必油断すへからす。

 後世心得のため是を建るもの也。


(裏面)

右に安政の津波の古碑がある 永年の風化により石文が判読困難になった。

よってここに再建して後世に伝える事とする。

平成六年十一月四日建之 海南町

内容

 安政元年11月4日午前7~9時頃、地震でしばらく揺れて、 午前9時~11時頃には潮が狂ったように道路まで溢れてきたので、人々は大いに驚きあわてて山上へ荷物を運び逃げ登った。 それから注意して一夜を明かした。

 翌5日は、晴天で雲も風もなく、太陽はぼんやりとして三月頃の暖かさであった。 不審に思って山へ荷物を運ぶ者もあれば、前日の異変はあれで終ったと思う者もいてそれぞれであったが、 午後3~5時頃に大地震がしばらくあって、それが終わると大海から高さ約9mの大波が、射った矢のような早さで打ち寄せてきた。 浦上カラウト坂の麓まで、いせだ戸や山の関まで上って、その夜は大波が何度も何度も繰り返し襲ってきた。

 天満宮、大年、御崎の三社並びに浅川浦の三つの寺はいずれも残ったが、その他の家はすべて流失した。 浅川村の西の奥、東谷の人家もことごとく流失したが、用心していたので村中に怪我人はいなかった。

 永正や慶長にも津波があり、また宝永4年の10月4日の事は、稲の観音堂石像地蔵尊に記録が残っている。

 宝永の津波までは百年前後であったが、この度は148年目に起こっているので、 後年、寒暖が季節にそむいて大地震があった時には、必ず油断してはならない。 後世の人たちの心得のためこの碑を建てるものである。